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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

いたずら書き - 2020.03.20(作品)

はる 6897
 コラージュしてそのかたちからイメージを膨らませる。この黄色の部分が人の腕に見えた。そうやって腕を伸ばした先に何を描くか考える。画面がピンクだったので裸婦にすると、あらまぁ不思議あの有名なボッチチェリの「ビーナス誕生」の一シーンを彷彿させるではないか。ということで黄色の人物に布を持たせた。


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作品寄贈 - 2020.03.18(写真)
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はる 6895
2020/3/18
 話があってから、ずいぶんと時間がかかりましたが、今日山梨英和大学に大きな作品15点搬入寄贈しました。とりあえず私の役割はここまでです。あとは大学の方で効果的な展示公開を協議してゆくでしょう。

 地方の小さな大学が地域で活動している作家を応援するという意味で、作品をコレクションしてゆくというのはこれからの大学の一つの在り方ではないかと思う。私は非常にありがたいと感謝しています。

 公開が決まればまたここでお知らせします。

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今日のアトリエ - 2020.03.16(今日のアトリエ)

はる 6893
 新しいアイディアというのは考えて出てくるものではないらしい。いつも思うことだけれど、画面に向かってうんうん唸ってみても浮かばないものはいくらやっても浮かばない。これはやったことがない人には分からないかもしれないが、アイディアは溜めることができない。浮かんでは消えて行くものらしい。何やっていないときはアイディアも止まっているだな。だからしばらく休んでいるとさぞかし多くのアイディアがたまっただろうと蓋を開けてみると中はすっかり空っぽだ。20,30枚並べてどんどん描いているときほど次から次とアイディアが浮かぶ。井戸とよく似て汲みださなければ出てこないもののようだ。

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ポケットの窓 - 2020.03.15(裸婦クロッキー)

はる 6892
 

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ブログ - 2020.03.14(ブログ)
はる 6891
 わたなべゆうさんが亡くなったようだ。詳しいことはわかりません。がんを患っていたとは聞きましたが、個人的に付き合いもあり尊敬もしていましたのでショックが大きいな。

 彼を知ったのは88年に銀座で初めて個展をやった時にぶらりとやってきて、面識もなかったのでかっこいい人だなと芳名帳を見たらゆうさんだったのでびっくりした。どこで私の個展を知ったのか、同じ山梨という事で親近感を持ってくれたのか、分かりませんが。

 まず存在が圧倒的にすごいな。絵から独特の存在が匂ってくる。

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譜面 - 2020.03.13(ポケットの窓から)


はる 6890
 こんな譜面を渡されても初見では全く歯が立ちません。伴奏のCDも一緒に貰うのですが、それを聞いてもちんぷんかんぷんです。それでも恐る恐る一オン一音拾ってゆくと何となく形になって行くのです。

 この間YouTubeで全くのド素人がリストのカンパネラだけを弾けるように特訓するという話がアップされていたけれど、なんと一年足らずでやってのけていた。漁師の武骨な手でカンパネラを弾いているのを聴いて結構感動したな。それだけ練習すればなんとかできるんだな。別に音楽家になるわけじゃないのだから、指使いがまちがってもいいわけだ。

 まぁ私がやっているチェロもド素人の域を出ないけれど、一音一オン拾ってゆくと時間かけると何とか曲になっている。面白いなと思う。


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- 2020.03.12(ポケットの窓から)


はる 6889
 これは昨日送ったがぞうです。一日の時差は何故でしょう。
 
今でもデパートの絵はほとんど変わらない。一つはもうすでに評価の定まった物故作家の骨董的な高額商品か、胡散臭い版画というプリント。もう一つは明らかに売り絵とわかるインテリア工芸作品。田舎のデパートにもギャラリーという名のテナントがあるけれど、毎回こういった作品が並んでいる。この画廊が存在してるという事はそれなりに需要があるからで、例えば家を新築した時に何か絵が欲しいという事になると、手軽に寄ることができるこういったデパートの画廊というのも存在意義があるのだろう。

 絵を生業にするとした場合、こういった需要に答えるという意味で「デパートの絵」の制作者という仕事も絵描きにとって重要な仕事ということになる。多くの場合若いまだ評価の定まらない、ありていに言えば単価の安い作家がそこら辺を目指す。画商側も使いやすい。ギブエンドテイクで成り立ってゆく。

 さて、それで「デパートの絵」というのは誰が決めたのだろう。見事にどのデパートに行っても同じような絵が並んでいる。一つは画商さんがそういった需要に答えて作家を選んで注文するからだろう。もう一つは作家の側から歩み寄ってデパートで開催するのだから「デパートの絵」でなければならないと忖度しているのではないだろうか。お得意の。第一の理由が大きいのだけれど、作家側の責任もあるのかもな。

 デパートで個展を何回か開催して思うことは、例えばお客さんの9割の人がそういった「デパートの絵」を求めているかもしれないけれど、残りの1割の人はそんな絵を求めていないということだな。デパートのいいところは一見さんのお客さんがふらりと買い物がてら寄ってくれる。特に他の階で関連の催事などをやっていると、美術に興味のある人がふらりと寄ってくれるわけだ。これはなかなか町場の画廊ではありえない。町場の画廊はけっこうコアなお客さんを相手にしている。

 初めて私の絵を見たほとんどのお客さんの反応は今まで見たことがないという言う。確かにデパートであまり扱われる絵ではない。けれども全く無反応ではない。けっこう好意的な反応がある。購入されるかどうかは別にしてね。こういうとすこぶる傲慢にきこえるけれど、意外にお客さんは目が肥えているひとが多いということだ。「デパートの絵」に飽き足らないものを感じているお客さんも多いという事だな。

 傲慢に言わせてもらえば、今までのような商売画商が選んだ作家だけの「デパートの絵」ではみすみすチャンスを逃している、お客さんの本物の絵を見せる機会を奪っているのではなかろうかね。凄く難しいのだけれど、画商さんにも見る目が欲しいということかな。
 
 

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旅暮らし - 2020.03.10(ポケットの窓から)



はる 6888
 9年前の3/18のブログ

はる 3554

 原発が凄いことになっている。何年か後に振り返ってみた時にあの事故は日本のターニングポイントだったんだなと言われるような、戦後最大の時代の節目であることは間違いないだろう。

 何の専門的な知識のない素人が色んなブログやテレビの情報を聞きかじって、耳年増になってさも自分が何でも知っている閻魔様にでもなった気分で批判するのは簡単だが、多分今はその時ではないのだろう。

 昨日輪番停電でちょうど夕方の時刻から10時頃まで停電になった。今頃ろうそくを買いに走ってももうどこにも売ってはいない。仕方ないのでクリスマスグッズの中から、古いろうそくを出して使った。まぁたまにはオツナものですね、キャンドルナイトというのも。

 しばらくして、妙に外が明るかったのでどうしてか不思議に思って出てみると、月明かりなんだな。そういえば子供の頃見た月はこんな風に青く輝いていた。

 まぁある意味少しおごっていたところがあるようにも思う。人は自分たちの力を過信しすぎていたところもあったのじゃないかな。こうやって、青白い光に照らされた、眠ったような街を見ていると、大きな宇宙の中で生かされている自分というのを感じて、幸せな気持ちになった。

 元々我々は自然の中で小さなことに心動かせながら、そんなことに幸せを感じて生きてきたものだった。いざとなったらここまで戻ればいいじゃないの。どうやっても、どこにでも幸せはある。

 静かに祈ろう。


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ブログ - 2020.03.09(ブログ)
はる 6886
 私がデパートで個展をやり始めてもう15年ほどになる。私自身まさかデパートで個展をやるとは考えていなかった。いまさらながら、デパートでの個展について考えてみる。

 日本で絵で食べてゆくと決めたなら、デパートでの個展は憧れの場ではあるのだろう。デパートに置かれている物はすべて商品であって、ただの展示物ではない。そこのところが普通の町場の画廊とは違う。町場の画廊にとって、作品は商品でもあるけれど、作品自体が何らかのメッセージを含んだ展示されるだけで価値あるものでもあるわけだ。売ることを、売れることを目的に展示されている物と展示することが目的の物とは最初から方向が違う。

 私も最初の頃はデパートの絵というものに偏見を持っていた。ただ「細かくて、奇麗で、分かりやすい」だけの何の主張もメッセージ性もない、お土産物のような工芸品をイメージしていたからだ。少なくとも私の絵にはメッセージがあると思い込んでいたからな。話があってもお門違いと聞く耳を持たなかった。

 私がデパートで個展をやる切っ掛けは、H氏との邂逅だ。彼は画廊を持たない画商さんといえば一番理解しやすいかな。何人かの自分の気に入った作家さんを持っていて、絵画にこだわらず木彫だったり染色や木工、ステンドグラス、名前を挙げれば誰でもが知っているような作家まで手持ちの作家さんを抱えていて、基本全国のデパートに企画を売り込むそんな仕事をしている。

 何がHさんの琴線に触れたのか、どこかで私の絵を見てコンタクトをとってきた。最初連絡があった時にはまたいつものような詐欺まがいの上手い話を持ってきたのかと全く聞く耳を持たなかった。それが話を聞いていると満更詐欺話ではない様子、それにぜひ話に伺いますと大阪から新幹線を使ってわざわざ来てくれた。これで詐欺なら騙されても命までは取られんだろうと乗ってみることにした。なんと、阪急梅田本店からが始まりだった。

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- 2020.03.08(ポケットの窓から)


 はる 6885
 すこし日常に戻ってきた。戻ってきたといってもコロナ騒ぎはまだまだ収束どころか、今日は山梨に患者がでて大騒ぎだ。髄膜炎を起こしたそうだ。まぁこれはどんな風邪でもある症状で、ウィルスが骨髄に入れば髄膜炎になる。コロナに限ったわけではないけどな。それでもなんか恐ろしいイメージが先行してきた。

 オリンピックもこのままじゃ出来ないね。もともと安倍ちゃんが大嘘ついて誘致したものだから、今頃になってしっぺ返しを受けている感じだね。それにしてもあの人は平気でうそをつくから恐ろしい。国会中継聴いていても私は悪くない。そればっかりだ。王様かい。

 まぁ確かに伝染病は恐ろしいけれど、目に見えない恐怖というのがあるね。それにどんどんと広がって行く、むしばまれてゆく恐怖というのかな。しかしね、放射能だって同じだよ。今すぐじゃないけどね。じわじわ蝕まれてゆくというのはさ。素人だからまともなことは何も言えないのだけどね。ウィルスよりもっと恐ろしいのが、他人のデマとか噂なんだよな。そちらの方が何倍も恐ろしい。人は不安に駆られると理性を失っもて暴徒化する。集団心理もも怖いな。今のマスコミの報道など見ていると、いつもはお上のご機嫌伺いばかりで、仕事らしい仕事もしないくせに、この時とばかり不安をあおることばかり報道する。まったく役に立たないというか、ある意味凶器だな。もっと自覚してほしい。視聴率が取れるからといってあおり記事ばかり書いているんじゃないよ。


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画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

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