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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2007.04.20(ポケットの窓から)
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写メ 「今日のアトリエ」

はる 2125
 少し考えをまとめるので付き合って下さいな。

 まずこれから
 はる 1926(蔵出し)
「 ・・・・・・・・・・・・略・
 人は自分の持ってる資質みたいなものから、なかなか抜けきらなくて、根本的には全ての思考や発想はそこから出てくる。

 例えば、腕力に自信のある教師は大体においてその力でもって生徒を手なずけようとする。本人も周りも知ってか知らずかそれを期待している風なところがある。

 人を統率する、まとめる、といったある種の能力はそういった力のある、暴力的、封建的な人間の方が適しているところがある。

 騙されやすいのはそういった腕力でまとめられた集団と言うのは、力関係で均衡が保たれているわけだから、見えないところで小さな力のないものを虐げているというとところが必ずある。一見平穏で秩序正しく見えるからしまつが悪い。

 生徒はけっして教育されたのではなく、恐怖政治のように順応させられただけなんだな。だからそういった重石が取れたら元の木阿弥になってしまう。勘違いするのはそういった教師がいい先生だ、指導力があるとされるところだな。

 ・・略・・

 少し話がとぶけれど、ガンジーが物凄く腕力に自信のあるにんげんであったなら、多分彼の思想は出てこなかったと思う。自分が持って生まれた資質でもって戦えるとしたら、たぶんこれしかないと思ったところから出てきたのじゃないかな」

*****引用ここまで

 法というのは強い人間が弱い人間を統率するためにできたものではなく、私が理想として考えるに、一番弱い人間が、それでも何とか最低生きて行けるよう定めたのが法ではなかろうか。

 60年前に戦争に負けて国力は最低な所まで落ちた。自信も誇りも皆失って今日一日生きて行くの難しいような時代だった。その時に多くの人々が思ったことは「もう戦争は嫌だ」「戦いたくない」という心からの願いだったはずだ。

 人から与えられた法だからという言い分がある、けれどはたしてそうだろうか?その時に多くの人は涙を流して賛成したはずだ。国民の大多数の人が、心から望んだ法が人から押し付けられたものといえるかどうか。

 それを言うなら、議会制民主主義そのものも欧米の政党政治機構を真似したものだ。この国にはもともとなかった。この際だれが作ったかは問題ではないだろう。

 ここからが大事な所、あの時は異常な状態だった、国力が最低に落ち込んで多くの人は食うや食わずの飢餓状態だったからと言うかもしれない。うん、だからこそそういった一番弱い時に決めたことが最低のルールじゃなかろうか。

 今、多少なりとも国が富んできて力をつけてきた。こうやって強い国になった時に「強いもののルール」で法を変えてはいけないのではないかな。変えることで見えなくなってしまう事の方が怖い気がする。

 それはまるで腕力のある教師が手っ取り早く生徒を統制しようとするのと同じことではないか。強いものが「強いものの論理」でルールを作ることを「右翼化」という、弱いものが、次第にしいたげられて、生きて行きにくくなる。


 長崎の市長が銃弾に倒れた。三十何人もの学生がたった一人の暴力にあっけなく殺されてしまった。多分暴力というものはこういったものなんだろう。有無を言わせない、根こそぎ奪ってしまうものなんだろう。チンケナ理想主義など跡形も無く蹴散らしてしまうものなんだろう。

 戦わない民族は多分生き残れない。多くの歴史がそれを証明している。それでもあえてガンジーのように「非暴力非服従」をうたって、誇り高く戦うのがカッコいいように思うのだ。どうだろか?



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