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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日の桜2 - 2007.03.23(ポケットの窓から)
NEC_0069.jpg

写メ 「今日の桜2」

 近所の公園の桜を定点撮影していこうとしていたのに、今日観たらその枝が折られて消えていた。おい、誰も知らないと思って、私には証拠写真があるんだぞ。ということで、他の近くの桜を撮影することにした。もうすぐ開花しますね。


はる 2099
 オリジンの話4
 ところで、同じような言葉で最近よく耳にするのが、「ユビキタスubiquitous」「時空自在」と訳すそうだけれど、まるで孫悟空のようなイメージがあるな。

 これも元はラテン語の(ubique いつでも、どこでも)という言葉からでているそうだ。

 ところで、英語のユビキタスの意味には「神の遍在」という、意味があるらしい。もともと西欧のキリスト教などをみると、基本的には唯一神で他の神は一切認めないという結構厳しい掟がある社会なんだけれど、その神は唯一でありながら何処にでもいるという離れ技をやってのける。

 誰かが言っていたけれど、砂漠の民のような厳しい環境の元では生き残って行くには、そういった激しい排他的な掟(神)が必要であって、我々のような湿潤な生物が生息するに適した八百万神の生息する、アジアモンスーン気候に棲んでいるような人には到底理解できないてなことをきいた。

 そうやって考えると、偏在のありようも西欧型の唯一神的な分裂型の「いつでも、どこでも、だれにでも」よりも、元々我々が持っているアジアモンスーン型の八百万的な「いつでも、どこでも、だれにでも」の方が、我々には分かりやすいね。

 ところで、オリジン(源)の話をしていたら、いつのまにか神の話になっている。そう、結局一つ元にもどって考えるということを繰り返して、もうこれ以上戻れないというところは「これ」なんだ
な。

 「これ」の実態は分からない。見えないしつかめない、けれど確実に「そこに、ここに、どこにでも」存在するものなんだろう。「これ」は誰にでも理解できて、分かりやすくて、またあることが普通で、安心できるものなんだ。

 時々「これ」を掴んだと思うときがあるのだけれど、意識するとすぐにまた元の木阿弥だ。

 ボケてきてあちらの世界とこちらの世界を行ったり来たり出来るようになって、初めて「これ」がつかめるのかな。まぁそう考えるとボケるのも悪くないかな。



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