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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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裸婦クロッキー1 - 2007.03.11(日記)

NEC_0054.jpg


裸婦クロッキー1

はる 2088
 今日は朝から裸婦クロッキーに出かけた。ということで疲れましたね。

 なんだろうなぁ、クロッキーみたいな簡単なしごとにこそ、絵を描く本来の楽しさがあるように思う。何回もやっているくせに一回一回違ううんだな、これが。他人が見れば同じにみえるかもしれないけれど、出来がいい時と悪い時というのがハッキリとあるんだ。

 それもあるけれど、未だに技術的にああしてやろうとか、こうしてやろうとか工夫している自分がいる。上手くなりたい?という自分がいるんだな。まぁ上手くないから飽きないのかもね。これは多分一生終わりがないという気がしている。

・・・・・・・・・
 「現代美術」という言い方もおかしいのだけれど、例えば絵画が単に色のついた板だという点に立ち返って、じゃ色は絵の具でなくてもいい、板はキャンバスでなくてもいい、ということで色んな他の画材を使うようになった。まぁここらあたりまでは心情的に同じラインにいる。

 ところが、もっと進んでというのか後退してというのか、物を作るのではなく、考えることそのものが即芸術だということになって、例のデシャンの便器をそのまま(泉というタイトルで)出品したということになると、もう何だか分からなくなってくる。これもまぁある種の(見立て・価値の転換)と言われればそうかなとは思うのだけれどね。

 「現代美術」ということになると、今は設置芸術(インスタレーション)みたいなものが主流だな。まぁここらあたりの最前線になると、私もよく理解できていない、というのか心情的には分からないといった方が近いかな。

 どういうかたちであれ、私は(ものをつくる)というところから離れられないような気がしている。もっというなら、わたしのやろうとしていることは形を変えた(いのりのかたち)であって、何が何でも自己表現という意識は薄いな、まして芸術だとも思っていない。

 自力、他力どちらでもいいけれど、ほんの一瞬にでも「おおいなるものの意識」にふれることができたらいいなとただそれだけのことだ。



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