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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

冬空 - 2007.02.10(ポケットの窓から)
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写メ 「冬空」

 再掲載

はる 1926
 まれびとさんの日記に作家の辺見庸さんのことが書かれていた。病気をして体の自由を奪われてからの思考について書かれていた。詳しい内容はそれぞれが行って読んでみて欲しい。

 少し前に書いたおぼえがあるのだけれど、何処で書いたか忘れてしまった。辺見さんの文章と関連してこんなことを思い出した。格調は低いけれど許してくれ。

 人は自分の持ってる資質みたいなものから、なかなか抜けきらなくて、根本的には全ての思考や発想はそこから出てくる。

 例えば、腕力に自信のある教師は大体においてその力でもって生徒を手なずけようとする。本人も周りも知ってか知らずかそれを期待している風なところがある。

 人を統率する、まとめる、といったある種の能力はそういった力のある、暴力的、封建的な人間の方が適しているところがある。

 騙されやすいのはそういった腕力でまとめられた集団と言うのは、力関係で均衡が保たれているわけだから、見えないところで小さな力のないものを虐げているというとところが必ずある。一見平穏で秩序正しく見えるからしまつが悪い。

 生徒はけっして教育されたのではなく、恐怖政治のように順応させられただけなんだな。だからそういった重石が取れたら元の木阿弥になってしまう。勘違いするのはそういった教師がいい先生だ、指導力があるとされるところだな。

 反対に今管理職などから、指導力不足とか言われて教職を追われている先生が全国で何人もいるけれど、そういった教師の中には適性に欠けている人もいるけれど、まぁ苦労して自分の持ち味で指導できるようになれば、そういった腕力系の先生よりいい教育者になる可能性がある。

 少し話がとぶけれど、ガンジーが物凄く腕力や、体力に自信のあるにんげんであったなら、多分彼の思想は出てこなかったと思う。自分が持って生まれた資質でもって戦えるとしたら、たぶんこれしかないと思ったところから出てきたのじゃないかな。

 で、自分はどうなのかなぁ、弱い人間がカッコつけてはったりかましているのが一番危険だ。

 国というレベルでかんがえると、どうしても強者の側から考えることが大いのだけれど 弱者の立場から必然的にでてきた、戦わないという憲法9条をもう一度考える必要があるかな。高い文化をもった民族が「戦わないという戦い方を選択した」ということは誇りに思ってもいいのかもしれない。どうじゃろか?

 



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