
はる 8026
例えば↑の「ほうき星」は通常のデッサンからは出てこない。何故なら何かを描写しようとして描かれたものではないからだ。顔と首のつき方も普通ではありえないほどねじ曲がっている。まるででたらめに線をひいて横に描いていた絵を縦にしたことから生じた不自然な屈折だ。ところが私はそれでもいいように思った。それを生かすかどうかを判断する感覚は自分のなかにある。コラージュなどもそうだが、どこにどんなものが来るのか決まっていない。そのことがかえって面白い効果を生む。自分の感覚が平凡であることをよく知っているので出来るだけ予定調和みたいなものは避ける。そうやって無理やり道草することで自分の持っているもの以上の効果を得ることが多々ある。積極的に無駄をする。画面がどろどろの滅茶苦茶になったとしても、いずれはある方向に向かって収束するということを私は経験上知っている。デッサンはそんな描き方のベースになっている。凡庸な絵描きはデッサンを忘れるためにデッサンする。