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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

路上のチェリスト - 2023.04.14(作品)

    企画画廊くじらのほね
100年以上の時を渡る作品とはどんなものなのか。この問いは自分の中でしばしば発生します。戦争や天災など生命を脅かす危機が何度も発生してきた歴史の中で、食物にも薬にもならないけれど何世代にも渡って後世に預けられてきた美術作品は多く、そうやって生き残ってきた作品はその何倍もの数に及ぶであろうそうではなかった作品と何が違ったのか...時折そんなことを考えます。
 いくら強靭にモノを作り上げたとしても金づちで叩けばあっけなく壊れてしまう美術作品は今も昔も多いでしょう。そういった作品が幾度も危機を乗り越えられた理由のひとつに積極的に保護されてきたというケースはあると思います。作者名に価値がつく著名な画家の作品などは保護する理由も明白で、積極的に保管されてきたと言えるかもしれません。ですが作者名や制作時代など作品にまつわる情報がほぼ不明でも永らく残ってきたものが多いこともまた事実です。そういった作品が綺麗な姿で今でも在り続けることが出来たのは何故なのでしょうか。
 話が飛ぶようですが、2017 年に私が初めて榎並和春さんの作品を拝見した時、その作品力が本当に衝撃でした。漠然と「本物」に触れたという感覚を覚えたのと同時に「美術館でなくてもこのレベルの作品を見ることができるし買うこともできる」という事にも驚きました。その時点で榎並さんのことは何も知らなかったのですが、作品そのものが持つ「存在力」とも呼べそうな力強くも美しい気配にひたすら圧倒され、むしろ作家名を始めとする作品に関する様々な情報は気にもなりませんでした。あの時の経験を振り返って今思うのは、末永く残っていく作品とはそういう作品ではないかということです。付随する情報を理由に保護される作品は、時代が変わりその情報の価値も変わってしまえば簡単に捨てられるでしょう。ですがモノそのものに人を納得させる力がある作品は、生みの親である作者からも独立し、その強固な存在力によって一人で渡っていくのかもしれません。そういう作品は保護されるとは限りませんが、積極的に破壊してしまうことを人に躊躇わせる何かがある気がします。時代が移ろい人々の価値観が変わっても、それを凌駕する美しく揺るぎない存在力を放つ作品は確かにあって、それは作り手から魂を宿された作品と言っても過言ではない気がします。そんな視点から現代美術を見つめ、改めて榎並さんの作品を見直す時、澄み渡る真っ白い真実のようなものに触れるような、そんな感覚になります。       (2023年4月 飯田未来子)

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