
さてさて、今日は何を書こうか。ほぼ毎日何かしら書いている。メモ程度のもも含めると、その数は膨大なものになる。ある程度読める文章が出来たらストックしておいて新聞のコラムに掲載してもらったりする。それもここ最近の事だな。
人は常に何か考えてはいる。目に映ったことから走馬灯のように次から次と言葉の断片が流れて行く。まぁそれは考えているとは言わないけれどね。しかし、何か系統立てて考えようとすれば書きながら、メモを取りながら、絵を描きながら考えるしかないように思うな。堂々巡りにならないためにはそういう方法しかない。
表現という事になると、こういう自分の何かを掘り起こしてゆくしかない。誰かの注文で描く絵と、自分の発意で描く絵とは根本的にちがうのではないか。それが絵になるか、文章になるか、詩になるか、音楽になるのか方法は色々あると思うのだけれどね。どうだろう。
絵が上手くなって、ピアノが上手に弾けるようになっても表現するものが何もないならそれはただの機械と同じだな。やがてAIに替わってしまうだろう。仏作って魂入れずってやつか。ただ奇麗なだけの、上手なだけの絵を描いてもあまり意味がないのではないか。