
クロッキーは速写といって5分か10分ぐらいで人体の動きを描きとどめることが主なテーマで顔や手や足などの細かい描写はほとんどしません。とはいっても自ずから付いてくるものですから全く無視するというわけにはいきませんがね。
人間の眼は二眼レフであって左右の画像を頭の中で一つの画像に組み合わせて遠近感を感じさせるようになっている。そこが元々一眼レフの写真から絵を描くのと大きく違うところだ。どんなに正確に写し取ったとしても写真から起こした絵はどこかオカシイのはそういうわけなんだな。
もう一つは全体と部分の関係をいつも意識しているかどうかということだろうか。写真から絵を描く場合、写すということに主眼が置かれているわけで、今描かれている部分は部分でしかない。ところが実物を観て描く場合、常に全体を把握しながら部分を描かねばバランスが崩れてしまう。そこのところが大きく違うのではないかと思うな。
しかし、ここからが本題なんだけれど、どんなに上手く綺麗に描写できたとしてもそれだけでは表現にならない。表現ということになるとまるっきり違う能力を必要とする。描写できる能力と表現する能力は違うものでないかと最近思う。まったく美術教育を受けたことがない無垢な描写が心打ったりする。美大などを優秀な成績で出た人が筆をおるのはそういうことも関係しているかな。だからといってクロッキーやデッサンが必要ないといっているわけではない。凡夫の我々は遠回りのようだけれど、方法はデッサンを意識しなくなるまで何も考えずに描くしかない。