
はる 7961
山梨新報2月コラム
工作少年の夢物語
あれは小学校の低学年の頃だったか、トランジスタラジオが世の中に初めて出てきた頃だ。今まで真空管ラジオしか見たことがなかった私にとって、小さな手の中に入るようなラジオから一人前に人の声が聞こえたり、音楽が流れることが不思議でしかたなかった。本当は小人がこの中に住んでいていろいろと仕事をしているのではないかと、親の目を盗んで分解してみたい衝動に駆られることもしばしばだった。
それからしばらくして、そうだな我々が小学校の高学年になった頃に、鉱石ラジオがブームになった。高性能のトランジスタラジオなど子供たちにとっては、どだい高根の花で、簡単に手に入るものではない。ところが鉱石ラジオは自分たちの小遣い程度で、少し無理すれば入手できるものだった。今から考えるとなんとも幼稚な器具なのだが、当時の工作少年たちにとっては夢の箱だったんだな。
ある時に鉱石ラジオを分解した。どう考えても不思議なんだもの。真空管ラジオやトランジスタラジオなら、それなりの機械がそれなりの状態で整然と並んで、これは由緒正しい機械ですと主張してくる。ドライバーとラジオペンチ一本ではどうにも太刀打ちできそうにない。
ところが鉱石ラジオはそうではない。どうにもこうにも拍子抜けするくらいに軽い。空っぽなんだな。あるのは、いわゆるゲルマニウㇺという鉱石がはいった豆粒と、コイルを巻いた筒が一つ入っているだけだ。これだけでどうして音楽や会話が聞こえるのだ。不思議で仕方なかった。ある種の鉱石にそういった能力があることを見つけた人は天才に違いない。
夢の道具といえば、どうすれば離れた人と簡単に会話を楽しめるか、まぁ電話とか無線など当時も当然あったのだけれど、それは実用的なものであって子供の遊び道具ではない。今の携帯電話などまだまだ影も形もなかった時代だからな。
エスパーという宇宙少年がいて、テレパシーで何の器具も使わずに意思を交換出来たり、これまた何の道具も使わずに瞬間に場所を移動することが出来る超能力を持っているなどという話を夢物語で聞いた。そういえば、ある意味今の携帯電話は当時考えていたテレパシーの能力をだれもが得たことになるのじゃないか。
便利は不便を駆逐する。携帯やパソコンが生まれた時から普通に身近に道具として存在する人間と、我々のようにアナログで育った人間との間にはかなり大きなギャップが存在するだろうな。キーボードをたたくだけで世界と通信できる、遊ぶことが出来る、仕事が出来るというのは便利なようで不便である気がするな。単に老人の杞憂に過ぎないのかな。どうなんだろう。