
2022「一番星」SM ⓔ混成技法
未発表
・・・・
山梨新報10月エッセイ「少年時代」
以前ここで発表したものに手を加えたものです。
少年時代は、はたから見るほど幸せな日々ではない。物心ついてからの経験がほとんどすべての世界なので不思議なことが多すぎる。多くのことが不安と恐怖と期待に満ちている。まず親や兄弟を選ぶことができない。他の家のしきたりや習慣がとんでもなく奇異なものに映る。後から考える我が家の習慣の方が世間から見てオカシかったのだが。どんな子供時代を過ごしたか、その後の人生が大きく変わってくるように思うな。
自分の専用の自転車が欲しかった。家には自転車があるにはあったけれど、大人用のもので黒くて丈夫な荷台のついた武骨な物だった。当時の日本は東京オリンピックをひかえ高度成長期に向かう頃で、小学校の頃は生徒が多くて普通の校舎だけでは足らずに学校の敷地内にプレハブの教室を何棟も建てしのいでいた。子供の数も多かったけれど、色々な物が先を争って市場に出てきた。サイクリング用のドロップハンドルで全体がアルミで出来たような見たこともないような自転車もその一つだ。
兄弟の多かった私の家ではすべてが御下がりで済まされてきた。まして自分だけの専用の自転車など望みようがない。それでもやっぱり流行りの自転車が欲しかった。しかし、世の中はよくできたもので、手に入れることが出来なかった夢が回りまわって絵のモチーフになる。これもまた私の人生でしょう。
子供の頃、夕方遊び疲れて帰るころは一番星が出ていた。誰かが「一番星見つけた~」と唄えば、待っていたように誰かが「二番星みつかけた~」と答えた。ぽつりぽつりと家の灯りがつき始めて、どこからとなく夕飯のうまそうな匂いが漂ってきた。買い食いするほどの小遣いも貰ってなかったので、みんな腹を減らして家に帰った。それが日常的な風景だった。子供時代というのは、たかだか5,6年のことだけれど、これが永遠に続くように思っていた。まぁ幸せというのはその時には分からないものなんだなぁ。
宮崎駿監督の「となりのトトロ」というアニメーションがあったけれど、全体的に子供時代の感性がよく語られているようにおもう。例えば大きな樹には何かしら例えようのないおおいなるものが棲んでいるような気がしたし、暗闇には不気味な魔物が実際に潜んでいるきがした。枯れた花はお化けに見えたし、いつか空も飛べる気がした。
古希すぎた最近の日常を考えてみると、当時の牧歌的な風景が無性に懐かしい。同じような日々だけれど相対的な時間の経過が徒歩と新幹線ほどの違いがある。日が暮れたと思ったら夜が明けていたといった感じか。だから「一番星見つけた~」と唄っていた少年時代がとても大切なんだなぁ。