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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2022 聖母 - 2022.08.17(作品)

はる 7774
 これは書いておかなければと思ったこと。誰かが書いていたことだけれど、どうも我々は生きることは苦であるから、ある程度の事は我慢しなければならないという教育をされる。学校教育自体がそういう前提で成り立っているのではないか。今でもそうだけれど、毎日学校に行くのが苦痛でしかたがなかった。それに、大学に入るまでは皆と同じように空気を読むような教育をしておいて、やれ社会人になって個性を発揮しろといっても無理なことだ。誰が考えてもおかしいと思うような統一教会の教義にやすやすと引っかかる人が多いのはこの同調圧力というのか、みんなと同じであるということに安心感を得るというような教育から来ているように思うな。もっとも教育というのは両刃の剣で、たぶんに洗脳的な面があるように思う。だから公教育はよほど気を付けないと危ないな。教育と洗脳が違うのは前者が本人が一人でも生きていけるための自己啓発であるのに対して後者は他人のために自己をむなしくすることかな。
もう一つは働くという事の意義みたいなことだろうか。私は根っからの怠け者だと思っているのだが、出来るなら就職しないで生きてゆくにはどうしたらいいのか?と若いころから常々考えていた。仕事というのが単にお金を稼ぐといだけのものではない、社会的に生きることだというような道徳を押し付けられるのだけれど、好きでもない仕事を我慢に我慢を重ねて続けることにそんなに意義があるとは思えない。我々の若い頃はモーレツ社員がもてはやされていたころで、24時間戦えますか?というのが冗談ではなくカッコいいと思われていたころだ。会社に勤めるということはある種会社に忠誠を尽くす奴隷になると契約することで、入社式や初任者研修などみると、新興宗教の洗脳とほとんど同じだという事がわかる。家族やマイハウスや生活を担保にして会社のために命を捧げると約束する。社会生活に疲れて落ちこぼれた人間をさらに新興宗教が言葉巧みにかっさらっていくという構図が見えてくる。どこまでいっても搾り取られるカルマが追いかけてくるのだな。それを断ち切るのは結局は自尊独立の真の教育しかないのだな、そしてどのみち命を捧げるなら自分の好きな事に使ったほうが後悔がない。覚悟できるかどうかの問題だ。

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