
2022「男と女」F6 混成技法
再掲
阪急うめだ個展で展示予定
榎並和春絵画展
旅寝の夜話
2022 6/29〜7/5
阪急うめだ本店 7F美術画廊
自分の40歳の頃を考えると、何をしていたのかな。1992年頃と言えば画家になって10年過ぎたころだ。画家といってももちろんそれだけで食べていけるわけもなく、不安定な非常勤の掛け持ちをしながらその日暮らしをしていた。確かに先の見えない頃だ。世間はバブルのど真ん中、浮かれた調子で好景気に沸いていた。田んぼのど真ん中に音楽ホールが出来たり、田舎の土地がリゾートマンション建設俄かに活気づいたりしていたな。本業よりマネーゲームで一攫千金をねらう輩も多かった。思えばその哲学のない生き様は不景気になった今も同じで、われわれ特有の資質かもしれんな。 当時脱サラして山の中にペンションというリゾートホテルを建てることが流行っていた。地元の山梨では清里が一時ブームになって猫も杓子も脱サラして奇妙な西欧の張りぼてのような、またアニメから抜け出したような宿泊施設を作って盛り上がっていた。そこに元々住んでいるジモッティにとっては迷惑なだけの観光客で、都会の雰囲気だけを身につけた馬鹿どもが集まっていた。一度見ると二度と観たくないような無様なありさまだった。
私が山梨に来た40年ほど前は清里あたりは名前の通りの何もない美しい高原の村だった。それがあっという間にブームになってそして今は廃墟の村になってしまった。何が悪いのか。