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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

 「風土」、むかし風は鳥が運ぶと考えられていた。 - 2006.09.14(日記)
はる 1912
 さて、一気に涼しくなった。今日はもうトレーナーを出さないと寒いくらいだ。季節は確実に移ろいでいる。

 美術館のそばに貸し画廊があって、昨年大学院を卒業した若い作家の個展を観た。まぁ卒業制作あたりを持ってきているわけだから、そこそこのクオリティーなんだけれど、観に来る人は少ないだろうな。

 この画廊はほとんど無料で貸してくれる、まぁそこそこの経費は取られるかもしれないけれど、若い作家には理想的な場かもしれない。

 しかし、画廊と作家の関係を考えると、そう喜んでばかりはいられない。発表の場としての安い「貸し画廊」はありがたいけれど、作家は貸し画廊ばかりで発表していたのでは次には進んでいかない。難しいところだけれどね。

 欧米の画廊というのは、日本でいえば全て企画画廊でオーナーが自分でこれだと思った作家に目をつけて、作家を育てて行くそうだ。だからそれなりにお互いに責任もあるし、だれでもが画廊で展覧会を出来る訳ではない。

 画廊は自分の眼を信じて集まってくる顧客に責任があるし、お客さんもその眼に対して作品を購入するという関係があるわけだ。だから作家はその信頼を裏切らないような仕事をして行くという責任があるわけだ。

 日本の貸し画廊というシステムは見かけ上欧米の画廊とにてはいるけれど、貸し画廊のお客さんは作家であるというところが全く違う所だ。

 日本には画廊は数知れずあるけれど、本来の顧客を持っている画廊は数えるしかない。

 これは需要と供給の関係でそうなっているだけなんだけれど、そういったシステムだけ変えても意味はないだろうな。

 基本的な問題は、普通の人が日常生活の中で絵を見る、絵を購入する、絵を飾るという習慣が無いということだろうな。そこのところから変えなければ意味ないだろう。

 少し前に地方のか活性化のために原野をリゾート開発という名目でバカスカゴルフ場を作ったり、マンションを建てたりした。ところが蓋をあけてみると、そういった思惑に躍らされたのは、不動産屋さんと田舎の地主ぐらいだ。

 我々には休暇を「楽しむ」という発想が欠けているんだな。休暇だけではない、人生そのものが楽しいという発想がない。貧乏性のなせるところだ。

 戦後経済だけ米国に踊らされてやっつけ仕事でなんとかなったけれど、その分昔から日本にあった日々の楽しみ方を見失ってしまったようだ。

 風土というのかな、民族の持っている文化というのかな、そこらあたりをもう一度しっかり気付かせることをしないと、これからの日本はない。我々の仕事も無い、ということだ。

 画廊のことを書くつもりが、違うふうになってしまった。支離滅裂ごめんなさい。



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