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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2021「花束を持つ人」F3部分 コロナ禍のなか人権について考えてみた。 - 2021.08.27(作品)
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はる 7421
 山梨新報9月原稿
前にFBに書いた文章に少し手を加えて。
護られなかった者たちへ」を読んで。
 中山七里の「護られなかった者たちへ」というミステリーを読んだ。ミステリー自体はそれほど好きではないのであまり読みませんが、カミさんが買ってきたので何気に手に取ったものです。今回は生活保護の在り方から、コロナ禍のなか人権について考えてみたい。
内容はネタバレなので詳しくは書けませんが、簡単にいうと社会的に地位ある人間が二人も餓死したかたちで発見される。まぁ一人は善人でもう一人は人格者だった。そこで善人と人格者が何故餓死させられたのか?というのが始まりです。そこに憲法で保障されている基本的人権である、最低限の文化的生活を保障する生活保護の話がキーワードで入ってくる。二人はその申請の合否に関係しているということが分かってくる。
まぁ物語自体にそれほど興味はないのですが、一般の認識として生活保護を専門にしている窓口業務の仕事というのは、仕事がら生活困窮者に対して理解があって、それなりに人権擁護派の「偉い人」であるきがします。例えば弁護士といえば無実の罪に問われた人を応援する熱血漢とか、医者といえば赤ひげのような正義の無頼漢であるとかね。
しかし、言葉は悪いですが彼らは仕事として窓口に立っているだけです。その人の人間性や人格などはほとんど関係がない。彼らは事務的に客観的に淡々と仕事をしているにすぎないのです。申請されたものをすべて認めるわけにはいかないからね。実際の仕事は提出された申請の多くをどうすれば却下できるかに腐心するわけだ。彼らは気づいていないかもしれないが、そこに「命の選択」という大きな権力が介在する。
 話をもう少し広げると、憲法で保障されている基本的人権もある意味建前だ。これこれこんな権利が保障されています。美しい言葉が掲げられています。けれど我々が自分たちの力で勝ち取ってきたものでなく、いつの間にか上の方から与えられてきたものだから、今一つありがたみがない。「健康で文化的な生活をおくる権利がある」といってもホンマかいなと懐疑的だ。これが自分たちが戦って権利を獲得してきたものならもっと臨場感があって、子々孫々伝えて行くべきと思ったかもしれん。話が少しずれてきたので戻します。
私たちは国というのは「お上」であると感じていないか。未だかつてそれ以外はなかったから、ごく自然に「お上」には従うものだというふうに生きてきたように思うな。いや何でも逆らえというのではなく、自分たちの中にある盲従性というのか、規則正しく従順なところを良しとしていないか。「お上」は偉い人だから嘘をつくことはないし、騙すこともないだろうという疑う事もない優しい民だったのではないか。しかし、為政者というのは国の代表ではなく、雇われ店長みたいなもので、大きな権力を与えたのは、我々のために働くためであり、自身の保身のためではない。そこのところの感覚を変換しなければこれからの未来はないのではないか。
 コロナ禍の今、医療が切迫して今までのように必要な時、必要な治療が受けられないという状態に陥ってきた。まさに最後の基本的人権の生存権が失われようとしている。何も主張しないでも誰かがやってくれる、今までもそうだったというのは通用しないようになってきたように思う。権利は自然に元からあるものではなく、常に主張していなければ失ってしまうのだということを、コロナ禍で外に出られずだらだらと本を読みながらそんなことを考えた。

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