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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

2020「旅寝の夜話」F3 リルケの「一行の詩のためには」の一節からのパクリ - 2021.08.22(作品)

はる 7416
 
山梨新報 八月エッセイ
永遠のかけら
 絵画というのは全く自由な空間に見えるけれど、これも自分の理のなかにあって、全くでたらめに勝手気ままというわけではない。自分から逃れることはできない。
 まぁこれに似た話は幾度となくここに書いたから新しくもないけれどね。で、その理というのはいったい何だということだな。口で言うのは簡単だけれど、じゃどんなもんだ説明してみろといわれると、はたと困ってしまう。それが上手く説明できれば私はノーベル賞も夢ではないだろうな。
 できるかどうか、考えながらやってみる。学生時代からの長い付き合い画材店がある。このお店は最初は四畳半ぐらいの広さだった。色んなものが所狭しと積み上げられていて、無い物はないというのが自慢であったけれど、いつもどこにあるのか探すところから始めなければならない。長年の夢は店を大きくしてきれいに商品が並べられることだった。
 で、何年か後、念願かなってお店が大きくなった。倉庫も出来てきれいに商品が並んでいる。けれどそれも最初の数ヶ月の話で、やがては最初の四畳半のお店が四つ分広がったかたちになって落ち着いた。相変わらず色んなものが所狭しと積み上げられていた。まぁ私は気に入っているのでそれでいいのだけれど、話はその事が主ではない。
 自分の将来の姿というのは今の自分の中にある。見えないかもしれないけれど、未だ眠っているのかもしれないけれど、その多くの場合は今の自分の延長上に将来の私がいる。またこんなこともいえる、一日は自分の一生に似ているのではないか。で自分の一生は人類の寿命に似ているし、地球の誕生から終わりまで、この宇宙の始まりから終わりまでと似ているのではないか。
 で、この法則、簡単に言えば私は「永遠のかけら」であるということかな。多くの人が気づいているとは思うのだけれど、この無限の宇宙を考えることも、難解な数学を解くことも、ミクロなウィルスの謎を解くことも、深遠な芸術の世界を考えることも、突き詰めればこの私の中にすべてがある。その理論から推測すれば私は小さな宇宙の模型ということになる。宇宙は私の頭の中にあるということだ。結局、絵を描くということは「永遠のかけら」である自分自身を知るということになるのだな

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