
はる 7309
映画「ノマドランド」を観た。「ノマド」という言葉はそれほどポピュラーではないけれど、一部の人々の間では生き方として肯定的にとらえられている。簡単にいえば定住しない生き方ということか。定住しないということは定職ももたず、住居も持たないということになる。今の社会において定職や住居を持たない者というのは底辺のさらに下層の部類に属する生活者ということになる。しかし、それを肯定的にとらえるなら、高度に発達した資本主義社会において、何も持たない、とらわれない一種の理想の自由人としての姿が見えてくる。
多くの人は学校を卒業すると、とりあえず就職する。自分は何がやりたいのか、どう生きたいのかを考える暇もなく、先を争ってリクルートスーツを着て就職活動に精を出す。雇う企業側もできるだけ真っ新な、何の汚れもない無垢な人間を雇いたがる。その人の能力や意欲などはさておいて、とにかく無垢な人ほど洗脳しやすいからだな。
資本主義の経済活動というのはほんの一握りの資本家と多くの働きバチによって成り立っている。働きバチはできるだけ何も考えず、無欲で会社のために働いてくれることを建前としている。その代わりに衣食住は心配ないように与えられる。気づいているかどうかは別にして安定供給を担保にして企業や国家に吸い取られ続けているのだな。一度その甘い汁に浸かってしまうと死ぬまで抜けることはできない。
就職しないで生きるというのは考えているより簡単なことだった。ある覚悟さえできればね。多くの大人や周りの善良な人たちは、口をそろえて安定的な就職、正規採用に採用されることを勧める。やれ病気をしたときの補償がどうのこうの、老後の生活はどうたらこうたら。誰も見たことがない狼をさも見てきたようなふりして脅かす。確かにありがたい助言なんだけれど、私には念仏に聞こえるな。ごめん。
どう生きても一生だ。いずれは消えてなくなる。そうであるならば、好きなように生きたらいい。そんなことを気づかせてくれた映画だった。