
はる 7050
今日は蔵出し
回想記「こたえてください⑤」
はる 6314
1996年イタリアから帰ってきて考えたことは、今までのような山っ気のある一発当ててやろう、みたいな博打のような仕事に頼っていては自分の絵が段々と貧しくなるような気がして来た。自分が描きたいから描くのではなく、まず誰が審査員か調べてその人たちに受けるような絵を描こうとする。これは本末転倒だな。しかし、コンクールや公募展に出品する限り上位入賞がほしい。だんだんとそんなさもしい心根に傾いてゆく自分を発見してがっかりした。という訳できっぱりとコンクールとは縁を切ることにした。
マイナーならマイナーな生き方があるだろう。売れないな歌手とかバンドなど、はたまたドサマワリの演歌歌手、村から村へ移動する旅芸人、大衆芝居、サーカスなどなど、芸術家としてではなく一人の大道芸人としてならぴったりとその役割を果たせそうだ。出来るだけ近場にいる一人の作家としてその生きざまを見てもらう。一年間に創作した作品を携えて、いろんな場所に出かけて展覧会をする。観に来てもらって、今年はこんなことを考えました。こんな絵を持ってきましたといって、気に入ったら身近に置いてもらう。そんなスタイルが出来ないモノかと考えた。
それには一緒にやってくれる、私の絵を好んで企画してくれる画廊がどうしても欲しいんだよな。絵の専門家である画商さんがこの作家と一緒にやりたいと思わない作家など、一般の人に受けるわけない。昔演劇の蜷川さんが「女(女房)ひとり騙せないような役者が、大衆を騙せるはずがない」そんなことを言ってた。その手でいうなら「画商一人騙せない絵描きが、コレクターを騙せるはずがない」あとは一緒にやってくれる画商さんの出現を乞うだけだけだった。