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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ブログ - 2020.05.03(作品)

デヴィッド・ホックニーによるフォト・コラージュ
はる 6944
 少し前に書いたものをまとめた。
  例えばここにリンゴがある。それを忠実に写し取る。完璧にデッサンができた。色も寸分たがわぬように着けたとする。それを四角いキャンバスに描いたとするね。でもそれは自然の一部を単純に抜き出しただけなんだな。だからこの絵の世界と現実の世界とは同じ理でできている。絵の世界と現実の世界が自由に行き来できてしまう。それだと絵画は現実の世界の一部分という事になる。そうであるなら絵画する意味はない。今はスマホのカメラで十分だ。世界中インスタで瞬間の画像が残っている。

 ならば絵画する意味はなんだろうか?

 森羅万象=宇宙 我々の属しているこの世界というのはどこをとっても同じ理でできている。統計学のサンプリングのように私の一部をとっても遥かかなたの星の一部をとっても同じ理でできている。そうでなければ世界は成り立たないことになる。理論上、私を構成しているものと、宇宙を構成しているものとは同じ理でできているはずだ。だからどんな宇宙の片隅でも私の知っている遠近法も時間軸や空間の把握の方法も同じなんだな。だから宇宙船はやぶさが計算通りに行って帰ってくることが出来るわけだな。

 (いや、実はこの同じ理が通用する世界というのは実はすごく近視眼的な宇宙であって、我々が見ることができる宇宙だけの話だ。もっとマイクロな目を持てば我々の理以外の宇宙が存在する。この話はこれだけでもっと膨れてしまうのでここまでにしておくが、宇宙というのもある意味閉じられた世界であるので結界はあるきがする。それも含めて同じ世界に属するという事だな)

 話がとんでもないところに向かったので元に戻そう。

 イタリアのパドバのスクロヴェーニ礼拝堂のジョットの壁画などを見た時にこれは一つの閉じられた宇宙を表しているんだと思った。パドバに限らないのだけれど、こういった礼拝堂に描かれた世界は天井は天であり床は地であって完全に閉じられた世界なんだな。カメラのスナップ写真のように自然の一部を切り取ったものではない。作者が宇宙の創造主になって小さいけれど自分の理の中で世界を宇宙を創造しているわけだ。その中では現実の世界ではありえないことが起こっても別段何の影響もない。それが現実の世界にしみだして影響を及ぼすことはないからだ。

 絵画というのは一点一点閉じられた世界でなければならないとおもう。作者が創造主になって小さいけれどそこに完全に閉じられた世界を作るという事だな。だれも言わなかったけれど、たぶんセザンヌがやりたかったことはこのことではないかと私は思う。自然の一部を取ってきて完全に解体してそれをまた自分の理でもって構築することそのことに一生かけたのが彼がやりたかったことではないかな。

 絵は森羅万象を表すというのは間違いではない。明らかにその通りなんだけれど、その森羅万象は自分の理でできた森羅万象だということだな。たとえば0号の小さな絵の中に宇宙の創生から滅亡までが自分の思うがままに作り出すことができたら作家冥利につきるだろう。

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