
Pietro Lorenzetti (Sienese, c. 1280-1348)
Detail: Descent from the Cross (c. 1320)
Fresco detail
Lower Church, San Francesco, Assisi
はる 6935
続きを考える。
多くの人が勘違いしている。あたかも写真を撮るように自然の一部を切り取っただけで絵画といえるのかということだな。絵画は目に見える世界のコピーではないということだ。ここのところを説明するのはとても難しいのだけれどやってみよう。
イタリアのパドバのスクロヴェーニ礼拝堂のジョットの壁画などを見た時にこれは一つの閉じられた宇宙を表しているんだと思った。パドバに限らないのだけれど、こういった礼拝堂に描かれた世界は天井は天であり床は地であって完全に閉じられた世界なんだな。カメラのスナップ写真のように自然の一部を切り取ったものではない。作者が宇宙の創造主になって小さいけれど自分の理の中で世界を宇宙を創造しているわけだ。その中では現実の世界ではありえないことが起こっても別段何の影響もない。それが現実の世界にしみだして影響を及ぼすことはないからだ。
絵画というのは一点一点閉じられた世界でなければならないとおもう。作者が創造主になって小さいけれどそこに完全に閉じられた世界を作るという事だな。だれも言わなかったけれど、たぶんセザンヌがやりたかったことはこのことではないかと私は思う。自然の一部を取ってきて完全に解体してそれをまた自分の理でもって構築することそのことに一生かけたのが彼がやりたかったことではないかな。
絵は森羅万象を表すというのは間違いではない。明らかにその通りなんだけれど、その森羅万象は自分の理でできた森羅万象だというこだな。
まだ違う気がするけど、気が向けばもう少し考えてみたい。言葉にしてみたい。