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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

- 2020.03.12(ポケットの窓から)


はる 6889
 これは昨日送ったがぞうです。一日の時差は何故でしょう。
 
今でもデパートの絵はほとんど変わらない。一つはもうすでに評価の定まった物故作家の骨董的な高額商品か、胡散臭い版画というプリント。もう一つは明らかに売り絵とわかるインテリア工芸作品。田舎のデパートにもギャラリーという名のテナントがあるけれど、毎回こういった作品が並んでいる。この画廊が存在してるという事はそれなりに需要があるからで、例えば家を新築した時に何か絵が欲しいという事になると、手軽に寄ることができるこういったデパートの画廊というのも存在意義があるのだろう。

 絵を生業にするとした場合、こういった需要に答えるという意味で「デパートの絵」の制作者という仕事も絵描きにとって重要な仕事ということになる。多くの場合若いまだ評価の定まらない、ありていに言えば単価の安い作家がそこら辺を目指す。画商側も使いやすい。ギブエンドテイクで成り立ってゆく。

 さて、それで「デパートの絵」というのは誰が決めたのだろう。見事にどのデパートに行っても同じような絵が並んでいる。一つは画商さんがそういった需要に答えて作家を選んで注文するからだろう。もう一つは作家の側から歩み寄ってデパートで開催するのだから「デパートの絵」でなければならないと忖度しているのではないだろうか。お得意の。第一の理由が大きいのだけれど、作家側の責任もあるのかもな。

 デパートで個展を何回か開催して思うことは、例えばお客さんの9割の人がそういった「デパートの絵」を求めているかもしれないけれど、残りの1割の人はそんな絵を求めていないということだな。デパートのいいところは一見さんのお客さんがふらりと買い物がてら寄ってくれる。特に他の階で関連の催事などをやっていると、美術に興味のある人がふらりと寄ってくれるわけだ。これはなかなか町場の画廊ではありえない。町場の画廊はけっこうコアなお客さんを相手にしている。

 初めて私の絵を見たほとんどのお客さんの反応は今まで見たことがないという言う。確かにデパートであまり扱われる絵ではない。けれども全く無反応ではない。けっこう好意的な反応がある。購入されるかどうかは別にしてね。こういうとすこぶる傲慢にきこえるけれど、意外にお客さんは目が肥えているひとが多いということだ。「デパートの絵」に飽き足らないものを感じているお客さんも多いという事だな。

 傲慢に言わせてもらえば、今までのような商売画商が選んだ作家だけの「デパートの絵」ではみすみすチャンスを逃している、お客さんの本物の絵を見せる機会を奪っているのではなかろうかね。凄く難しいのだけれど、画商さんにも見る目が欲しいということかな。
 
 

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