
はる 6802
昔々、今から40年も前になります。六畳一間のアパートに住んでいました。ベットは半分押し入れの中に突っ込んで、そこで無理やり絵を描いていました。古いアパートでしたが、洒落た出窓になっていて、拾ってきた瓶や貰った花がいつの間にか枯れてドライフラワーになったものや、何かしら面白そうなオブジェを飾っているという意識もなく置いてありました。
午後からの光が逆行になって緩やかな諧調をつけている。いつかここを絵にしてやろうと思っていた。その頃はまだ写生に少し自分のイメージを乗せて描くぐらいしかできなかったので、なんとか見たままではない絵を描けないものかと四苦八苦していたころです。
見たままを描く写生から、自分なりの絵を描くにはかなりの意識の転換が必要です。写生を続けていれば、やがて自分なりの表現ができるようになるか?といえばなりません。見えたままいくら描いても写生が上手くなるだけで、自分なりの表現にはならないのです。写生と自分なりの表現の間にはかなりのギャップがあると思います。
自分の表現というのは人に教わるものではありません。ほんの少しアドバイスが参考になるかもしれませんが、基本的に自分んで見つけなければ自分の表現にはならないのです。自分で見つけない事には、何かそれ風に描いたとしてもやがてはメッキが剥げて自分の言葉になってこないのです。たとえ稚拙でも下手くそでも自分で探し出したものには人を納得させるものがあるのですね。
例えば人にものを教える場合もそうです。どこかで聞きかじったような正論を語ってもなかなか人には伝わりません。自分で見つけ出した言葉には真実があるんですね。言葉を探すのもよく似ています。
この絵にはそんな想い出がたくさん詰まっています。