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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

みみをすます。 - 2006.07.03(日記)

はる 1840
 夏至も過ぎたか。ここらあたりの夕暮れの日差しは美しいなぁ・・。

 野暮用で小学校の近くを通る。夕暮れの誰もいない校庭というのはそこはかとなく寂しい。物悲しいけれど何かいいんだなぁ。上手く説明できないけど、これが言葉として上手く説明できれば物書きになれるのかもしれないけれどね。

 少し前に書いたことだけれど、教師は「自分の内から変えなければ、何も教えたことにはならない。」という話。

 例えばよく勘違いするのは、腕力のある先生がいい教師か?ということだな。まぁ確かに即効性はあるし、具体的に目に見えて生徒は言うことをきく。ちょっとみは上手くいっているようにはみえる。

 しかし、実の所、ただ単に生徒は様子を見ているだけで、彼らは何にも学習してはいない。だから先生が変われば全く元の状態に戻ってしまうだろう。そんなものは教育とは言わない。

 この間、医者さんの息子が親父のスパルタに辟易して放火した事件があったけれど、腕力というのか暴力というのかそういった力による教育というのは、一時は役に立つことはあるかもしれないが、長い目で見ると逆効果である場合が多いな。

 暴力で押さえられた者はやがて大きくなったらまた暴力で人を縛るのだな。負の連鎖みたいなものだ。

 教師は案外「教える」ということに生きがいを持ってしまう。あながちそれも間違いではないけれど、熱心と思い込んでいる先生ほど教えることに自己陶酔してしまう。生徒にとってはありがた迷惑以外のなにものでもない。


 学校で教えられる知識や技術なんてものはほんの少しで、まぁ実際には役にたたないことの方が多いということもあるけれど、まぁそこそこ優秀な優等生くずれが先生になるのでそこのところがよく分かっていない。


 生徒にとっては教師が生きがいを感じようがなかろうが、優秀であろうがなかろうが、大きく言えばどうでもいいことなんだな。彼らが一番望んでいることは「私を見て欲しい」「私が何者か気付かせて」「私のいいところを見つけて」ということなんだな。虫のいい話だけれどね。

 知ることは面白いと気付かせることに教師の一番の仕事がある。それだけでいい。火をつければあとは勝手に燃えるのだ。

 たとえ話で言うならば、「静にしろ」と言葉でいうのは一番簡単な方法。次にどうするか、黒板でも叩いて「静に!!」とかいう。まぁそこそこ生徒は聞くだろう。けれどまだ素人だな。

 「みみをすましてごらん」といえばいっぺんに静かになる。

 教師の仕事は自分の心の中を「みみをすませて」きく習慣をもたせることだな。まぁ結局、いつも言っている表現者と同じ事だな。



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