
はる 6515
物を観て描くクロッキーも楽しいけれど、なにも見ないで適当に筆を走らせて描くドローイングはもっと自由で楽しい。ただしこれも自分の中にあるモノしか出てこないという制限つきだ。だから見方によっては異様に恥ずかしいものだ。
本画を描く時にこういった下絵のようなドローイングはほとんどしない。絵の醍醐味はぶっつけ本番の一本勝負のなかにあると思うからだ。下描きをしてしまうと本画はもぬけの殻になってしまう。
ドローイングといえど真剣勝負に変わりはない。今回たまたま千代紙がコラージュされたものがあったので、その上にいたずら描きしてみたら、意外に面白いものができたので晒してみることにした。
顔には目も鼻も口もない。指は何本あるのか。それでも観る人は母子像を感じてくれるだろう。それは観る人の中にある母子像なんだと思う。イメージを喚起することそれでいいと思っている。