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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

はる 6448 - 2018.12.27(作品)

はる 6448
 蔵出し

はる 5760
 自分なりの解釈なので間違えているかもしれません。あしからず。
 親鸞の「悪人正機説」というのは有名ですね。善人はいい人なんだから当然救われ手当たり前、そこで終わったんじゃ仏さんも度量が狭いじゃないか、俺たちのような悪人でさえ救われるというのでなきゃ本当の信仰じゃない。まぁ一つの心理だわな。人間なんて間違いを犯す動物なんだから、そんなに聖人のようにはいかんわな。皆がどこかで嘘や方便を垂れ流しているわけで、他人は騙せても自分自身は騙せない。そんなことだろうと解釈している。

 それとキリスト教の「心の貧しいものは幸いである」とか「放蕩息子の帰宅」などとどことなく似ているな。放蕩息子の帰宅ってそれだけじゃ何も意味はない。でもその逸話を読むと何となく理解できる。兄弟が居て親は財産を等分に分けるわけだ。兄は真面目で優秀で親父の跡を継いで仕事を続ける。出来の悪い弟は旅に出て全財産を使い果たしてしまう。それで最後には親父を頼って帰るしかなくなってしまう。そこまでなら「アリとキリギリス」の話みたいだけれど、そうじゃない。親父はその出来の悪い息子をあたたかく迎えるんだな。出来の悪い人間ほど本当は救いが必要なんだ。出来のいい人間は放って置いても何とかなる。そうやって信仰の必要性を語っている。

 昨日の「沈黙」の話もどことなくつながる。人格的に優れた人間とか、正直で真っ当な人間はもちろんこの社会では称賛されるし信頼も厚い。優等生なわけだ。信心で言うなら全く疑いもせず、それ一筋に信じ切るそんな人間の方が人間として優れているとされる。ゆるぎない信仰心は人間としても格が上なわけだ。だけどね、人間てそんなに上等な人ばかりだっけ、もっとこうカッコ悪くて嘘つきでだらしなくてでたらめでいい加減なんかじゃないか。例えばキリスト教徒なら踏み絵を踏めと言われればひょいひょいふんでしまうような、とりあえず嘘をついて言い逃れしてしまうようなそんな弱い人間の方がまともじゃないのか。でもそれでも救ってくれるのが信仰なんじゃないか。というのが大きなテーマだという気がする。弱い人間はけっして美しくもないし、かっこよくもない。そんなことを言ってる気がした。

 それから結局は神は何も言ってはくれない。すべてはその人の心の中にあるのだよということかな。

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