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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

聖母子 - 2018.09.08(作品)

2018聖母
はる 6338
 古いエッセイに少し手を入れて再掲
はる 2800
 「続・永遠の故郷1」

 永遠というのは無限と解釈される。ところが永遠であっても有限である場合もある。宇宙というのは無限の広さの代名詞のようなものだけれど、案外それはちっぽけな点に過ぎないかもしれない。

 少し理屈っぽくなるけれど書いてみます。興味がなければとばしてくださいな。

 例えばここに1mのひもがあったとする。それを半分にして残りの半分をさらに半分にして(もとの1/4)つなぎ合わせてゆく。さらにまたその半分(1/8)をつなぎ合わせる。そうやって次々とつなぎ合わせて行くと、理屈的には永久に増え続けるわけだから無限大に大きくなるはずだわな。ところが当たり前のことだが最初の1mを越えることはない。加えているにもかかわらずある一定値を超えないのは常識の感覚として不思議だ。

 1/2+1/4+1/8+1/16+・・・・=∞ではなく限りなく1に近づく

 無限とはこういった錯覚ではないかと思う。

 また、時間で言うなら例えば2時間の映画を早送りして1/2の1時間で観たとする。我々の時間では1時間であったとしても、映像のなかの人間はその短縮に気付かない。無論その中に人が住んでいたとしての話だけれどね。次元が一つ上がると元の次元の人間には気付かないということだ。

 それをもっと進めて1/10にするとか、1/100・・限りなく0に近づけて行くこともできる。理屈的には10年とか100年間を1時間に凝縮することも可能だ。もしそうだったとしても我々には察知することはできない。無限だと感じている時間は実はほんの短い有限の時間の可能性もある。

極端なはなし、宇宙の始まりから現在までを一瞬に凝縮したら外から見れば時間は止まって見えるし、中の人間には無限の時間に感じるのではないかな。

 空想は難しいのだけれど、止まった時間を内側からみれば「永遠」に見えるということだ。
 
「永遠の故郷」は文学的なにおいがするけれど、物理学とも不思議に交錯している。ワクワクする話ではないか。

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