
はる 6320
山梨新報の原稿
絵を描く材料
日本に油彩画が入ってきて約百年とすこしか。当時はあらゆる面で西欧の文化を否応なく真似することに必死だった訳だ。でまぁ百年経って西欧文明ばかり追いかけている自分たちのアイデンティティに疑問をもつ人が現れたわけだ。はっきり言って油彩画は西欧の風土の中から出てきた絵画技術で、モンスーンの日本の風土の中では今一つしっくりこない画材なんだな。で、すこし考えてみようという風潮になってきた。
材料を疑うといのは何も絵画だけではないね。カレーを作るのに出来合いのルーを買ってきてそれに、チキンを入れたらチキンカレーで、キノコを入れたらきのこカレー、ビーフカレーといくらでもバリエーションは出来るけれど、本質的な違いはない。そこから得
られるものは何もない。何もないから新しい事に気づくこともない、次の展開も出来ない。
ところが、一つ前の材料に戻ってルーから作るという事になれば、少なくとも5種類ぐらいのスパイス(ターメリック,コリアンダー、クミンなどなど)を組み合わせて練りこまなければならない。そこから数えきれないくらいのバリエーションを得ることが出来る。
話を絵画の方に戻せば、絵は描かれる物(支持体)と描くものに分けることが出来る。 支持体は紙だったり布だったり板だったりする。描くものは元に戻れば色の粉を何かしらの糊状のもので画面に定着したものだ。
この糊の成分によって膠だと日本画になるし、植物性の乾性油だと油絵、その中間で両方の性質を持っているのがテンペラ(水でも油でも溶くことが出来る)水性の糊のものは水彩画となる。
この間のオリジン(源泉)の話と繋がってくるのだが、絵を描く材料に戻って考えると、何々画という概念そのものが疑わしくなってくる。本来表現する行為はもっと身近で素朴な行為だったはずだ。根源的なものは何々画というものでない、今自分が手に入れることが出来る材料で創りだしたもの物、それが今生きる「私の絵画」ではないだろうか。