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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

クートラスト - 2018.07.20(ポケットの窓から)


はる 6288
 死刑の話。自分自身まだよくわかっていない。今日質問されたので少し考えてみたい。正しいかどうかではなく、思考の過程を晒しておく。

 私自身つい最近まで死刑の事など何も考えていなかった。皆と同じように極悪人は社会に必要ない人間だから死刑になって当然だと考えていた。心情的にはそのことは今も変わらない。例えばよく言われることは身内の人間が通り魔殺人にあって「誰でもよかった、人を殺してみたかった」などとほざかれると、この野郎死んじまえと考えるのは普通だわな。

 そのことと、社会のシステムとして「どんな人間でもたとえ極悪非道な犯罪者であっても排除してはならない」ということを同列で考えてはいけないような気がするんだな。その根拠だけれど、社会的な正義というのは時代やその権力を持っている者にとって変わってしまうというのが前提なんだな。排除するのは最も簡単な方法だけれどね。いらないモノ、気に入らないモノ、意見の違うモノを排除すればいいということになれば、綺麗な独裁となる。

 例えば戦争もそうだ。戦争は戦う相手を「死んで当然の極悪非道の人間だ」としなければ成り立たない。戦う我々は正義の味方、聖戦となる。そうやって戦争は始まる。勝てば官軍になって相手方を裁くことが出来る。裁かれる方は戦争犯罪人となる。戦前は「鬼畜米英」で彼らは悪魔の化身で我々は神の軍隊であったわけだな。ところが敗戦後は軍部はどうしようもない腐れ外道の集団のように言われる。何食わぬ顔をしているけれど、戦前と戦後は正義が百八十度変わってしまった典型的な例だ。もし、日本が勝っていれば軍部は神のように崇め奉られたであろう。負けたから戦争犯罪人として処刑された。

 大衆というのは流されやすい。というのか本当のところ空気のごとくただただ流されているだけなんだな。大きな力が働けばすぐにそちらになびいてしまう。正義などどうでもいいのだな。時代の風潮みたいなものでどうとでもなるし、すぐさま忘れてしまう。だれも百年先の正義のことなど考えはしない。その時代の空気、権力を持っている者の意向に従ってしまうものなんだな。かなしいけれど。絶対の正義などない。だから誰も殺してはいけないのだ。

 犯罪者は社会に対して悪をなしたのだから当然罰を受けるべきたというのはその通り。私もそれを反対するものでは当然ない。でなければ社会の秩序が成り立たなくなるからね。だけれども殺していいという理由にはならない。どんな人間でも排除してはならないという共通認識を育てることが民主主義の根幹ではないかと思う。

 民主主義というのは分かりやすく云えば、どんな人間も自由に生きる権利があるし、反対に他人の自由に生きる権利を奪ってはいけないという事につながるのではないか。そのことを大事な共通認識とすることが教育の最も大事すべき事柄のように思う。

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