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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

「道(TAO)」とは「それぞれの道」を極めるという意味と、無為自然の道教(TAO)からとりました - 2006.04.14(日記)
はる 1761
 県立美術館で「柳宗悦の民芸」展をやっていて見に出かけた。まぁもうご存知の方も多いかとおもうのですが、柳宗悦は東京の民芸館を建てた方で、明治以後、日本が西欧化一辺倒で置き去りにしてきたような民具や伝統に目を向けた先駆的な「民芸運動」を起こした中心人物だ。

 陶芸の浜田庄司や富本憲吉、河井寛次郎、版画の棟方志功などの巨人の名前がある。

 今でこそ朝鮮の生活雑器である李朝や李朝箪笥などは、出る所に出せば、ほとんど宝物のように高価に取引されるけれど、彼らがそのことに目をつけなかったら忘れられていたかもしれない。

 元をただせば千利休の「お茶」に始まる。彼がやった革新的なことは「見立て」という新しい芸術的な価値を作ったことだ。分かりやすく言うならば、「美とはそれを観た者の発見であり、創作だ」という青山二郎の言葉に要約される。つまりそういうことなんだな。

 現代美術なんかでも未だにその手法を使っている。デシャンの便器「泉」なんかもその手口だろうな。(すこし違うけれどね。)

 閑話休題

 アフリカのお面や雑貨なんかにも共通するのだけれど、無作為な造形の力強さみたいなものに我々現代人は憧れる。どうしてもせんの細い華奢な、その場しのぎの造形みたいなものになりがちだからだ。

 それからそこにある「美」の意味の考え方の違いかな。よく言われるのは「美」とは羊が大きいと書く。元を正せば漢字のできた大陸の話になってしまうのだけれど、「衣食住」全てに大いに関係していた羊が大きいことは彼らにとって「いいこと」だったに違いない。

 ここでいう「いい」ということと、我々の考える「美」がどこかずれているわけだ。で、もう一つすすめると「美」は「よし」とも読むことに気がつく。そうか、とここでガテンが行く。昔は「うつくしい」ことは「いいこと」と同じ意味を持っていたんだということだな。

 アフリカのお面や例えば日本の農舞や猿楽、神楽などで使うお面なども、とても彼らが今で言う所の「美的なセンス」があったとは思われない。

 にもかかわらず崇高な造形や雰囲気をもっているのは、まぁそこには神がおわしたということもあるけれど、もっと下世話な価値観でいうなら「使いやすい」「ありがたい」「いいもの」をつくったのではないかな。つまり「いいもの」は「うつくし」かったのだ。

 閑話休題

 「道(TAO)」とは「それぞれの道」を極めるという意味と、「あるがまま、なすがまま」の無為自然の道教(TAO)からとりました。


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