あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2017.03.17(ポケットの窓から)


はる 5809
 昨日の盗作の話は、自分のおじさんが抽象画家としてまぁそれなりに活躍していた。小さい頃からアトリエに遊びに行ったりしてそれに感化されたりしていたそうだ。その後直接教えてもらった訳ではなく、大人になって自分も絵を描きだした時に極自然に描きたいように描いていたらたまたまそれをおじさんが見ていて、自分の真似をしている、一切の発表はまかりならん、と釘を刺されたという事らしい。

 そのおじさんの作品をネットで観たけれど、まぁ確かに一見したところ似ていると言えばにているところもある。しかし、抽象的な仕事というのは自由なようでいて意外に手法は似てくると思うな。どこまでが自分独自な技法なのかというのは分からんな。

 反対に言えば技法などという物に独自性はないのではないか、そこだけが自分の存在意義だとするならば、簡単に人に真似されて自分の存在する意義は無くなってしまう。あくまでも技法は道具みたいなもので、大事なのはそれを使って表現する自分とのかかわりみたいなものではないかな。


comment(3)

 
 
ども、お二方。コメントありがとうございます。そうですね。例えばコラージュとかフロッタージュとかドロッピングなどという現代絵画ではもう古くなった手法が有ります。これなど誰がやってもそんなにかわり映えしませんよね。それを結果だけみて真似したと言われても困ります。本質はその手法なり技法を使って何が出てくるかそこのところに表現の面白さがあるように思いますね。

 
私もまったく飯野さんと同感です。
真似できるものと絶対に真似できないものってありますから。だれにも真似できない「何か」を持ちたくて人はいつだって切磋琢磨しているのですから〜。

 
結局、「技法」なんて、「何を描きたいか何を言いたいか」に従属するものであって、それ自体が問題となるのはおかしいと僕は思います。「技法」なんか、どんどん真似ればいい。問題はそこから先のはなしですね。

secret


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