
黎明⑨
はる 5617
京焼の絵付けの仕事を成り行きで辞めて、これで晴れて本当に何にも属さない素浪人になってしまった。まぁとりあえず陽のある内はスケッチに出かけたりしてプラプラと適当に暮らしていた。それはいいのだけれど、何か仕事を探さなくては蓄えも徐々に少なくなって行く。
何を考えていたのかよく覚えてないのだけれど、午前中だけ仕事して午後からは絵を描こうと思っていたように思うな。それで近くのモール街の八百屋さんで午前中だけ働かしてもらうことにする。それでもまだ、絵描きになるなどとは考えていなかった。一生こうやって適当にアルバイトして絵を描いて食ってゆけりゃいい。大それた大志を抱いていた訳じゃない。
八百屋は結構朝が早い。市場から大量の荷物を買い込んできてそれをまず今日すぐ必要なものと、そうでないものを仕分けする。すぐに必要でないものはちょっと離れた大きな冷蔵庫にしまい込む。それも出来るだけ古いものを前に出して新しいものを後ろにしまい込む。あとはパック詰めやビニールづめをしてコンテナにきれいに並べてお店のオーダーに答える。そんな裏方の仕事を午前中やっていた。近くに大きな団地があったのでお店は小さかったけれど従業員はたくさんいた。アルバイトだけでも多い時は10人ぐらいいた。
アルバイトは早い人は一日で長い人でも一か月単位で辞めて行く。だからここでも何か月も働いているとバイトの中でも役が付く。少し自給が良くなるんだな。そりゃそうだろう。私が仕切らなければ裏方はてんでバラバラでアルバイトは右往左往するだけになってしまう。いいか悪いかそうやって仕事をも覚えていった。
午前中仕事を終えるとゆっくり飯食ってそこからは自由だな。何をしたかというと京都の平安神宮の近くの関西美術院でデッサンの勉強をしにゆく。この美術研究所は大変ながい歴史があって、なんせ開学者はあの明治の巨匠浅井忠というのだから驚いてしまう。さすが京都。受験指導の研究所が多い中でそうではなくて、私のような受験とは関係のない大人のために開かれた学校だった。
まぁそうやって細々と絵描きの下準備の生活もまわり始めていた。そのままどこにも出品せず、細々と絵を描くだけの生活でもよかったんだけれど、段々ともう一度じっくり絵を勉強したいという気がむらむらと起きてきた。