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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2016.07.14(ポケットの窓から)
はる 5564
 「風の理」について考えながら書いてみる。まとまらないかもしれませんが、あしからず。 

 宇宙の原理そのものを出来るだけ簡単な理論で表したいというのは誰もが考えることで、物理学者はそれを簡単な数式で表せないかと考えたし、宗教家は神を創設することでそれを一つの統一した教義としたし、哲学者はロジックで持ってそれを理論づけようとした。

 だれでもそうだと思うのだが、宇宙の原理みたいなものを知りたいというのは小さい頃からあった。これさえ知っていれば何も怖いものがない、すべてがこれでOKだという理を知りたいというのは小学校の頃からずっと考えていたように思う。もちろんもっと幼い考えではあったとはおもうのだけれどね。

 たぶんこう思うのだ。すべての物事は部分であるけれど必ず全体を表している。そう考えると、ものすごく大きい宇宙だけれどこのちっぽけな私という部分にも宇宙の一端を表しているはずだ。考え方を変えると私の脳は宇宙だということが出来るのではないかな。私の心の中を探ることは宇宙の原理を知ることになるのだろう。

 セザンヌがやったことは多視点という考え方で絵を描こうとした。遠近法にもいろいろあるのだけれど、彼がやろうとしたことは見えた物と知っていることを同じ画面に置いたということ。ある意味異なった時間を一つの空間に押し込めるたわけで、空間をゆがめないと上手く統一することができない。このセザンヌの方法というのはアインシュタインの相対性理論に似ている。横かじりだけれど、異なった時間を同じ空間に閉じ込めると必然的に空間は歪んでくる。アインシュタインが次に考えたことは電磁場をも同じ理論で統一しようとした。結局は上手く行かなったらしいけれど、今でもそれは証明されていない。

 ピカソやブラックのキュビストたちがやったことは全く違う用途の物を画面の中に持ち込んで一つの画面に統一しようとした。これを発展させるとデシャンのように既成のものを持ち込んで考え方を変えることで作品となるというふうになる。お茶の世界の「みたて」とか赤瀬川さんのトマソン何かとも共通するな。ここまででコンセプチャルアートの現代美術まで駆け足でやってきた。

 私の絵の描き方は物が具体的に描写されていなくてもいい。だからこれは絵でないと言われればそうかもしれない。だけれども抽象画でいいかと言われればそうでもないのだな。まぁ抽象でもいいものはいいのだけれどね。「理」がちゃんと表現できていればね。

ひとことで言えば、閉じられた空間だということ。破たんがあってもその破綻さえも含んだ一つの閉じられた宇宙であることかな。



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