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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2016.02.25(ポケットの窓から)
はる 5444
 昨日の続き。
 一つ一つの絵もそうやって探り出しながら作って行くのだけれど、もっと全体的なこの絵の描き方そのものも段々に作ってきたものだ。

 前にも少し書いたけれど、私の今の描き方というものは何処かにあるわけではない。確かにミクストメディアという色んな素材を利用した作品の作り方というのはあるのだけれど、これがミクストメディアだという決まったものがあるわけではない。

 キュビズムのピカソとかブラックが初めたコラージュの手法やパピエコレなどもキャンバスに新聞紙の切り抜きを貼り付けてその上に全く違う絵を描いたりしていた。これも今でいうミクストメディアの走りだと思う。

 ピカソはもっと進んで今でいうガラクタアートみたいなこともやっている。自転車のサドルを動物の顔に見立てたりしている。そんなことを考えると「見立てる」という行為そのものが新しい価値を生んで、重要な位置を占めるようになってきた。デシャンの小便器をひっくり返した「泉」も極端だけれどその一環と言える。今まであった物を違った角度から観ると新しい価値が生まれるという訳だな。価値の変換がキーワードだな。

 この「見立てる」という行為は日本人は昔からやっていて、お茶の世界ではほとんどそれが常識となっている。朝鮮の日常雑器である茶碗を作為のない形で美しいとした話はそんなことをよく表している。

 最近で言えば赤瀬川のトマソンもそうだ。無用の階段とか、扉だとか窓とか影とかシミを名づけたものだが、庭の借景だとか坪庭だとか盆栽なんかも「見立てる」という行為ともいえなくない。

 話が少しずれてしまった。元に戻して、私はミクストメディアをやりたいと思って始めたわけではない。自分が作りたい物をつくったらそれが今でいうミクストメディアというものだったというのが正確な言い方のように思う。

 まず、素材なんだな。絵は支持体と描画材に分けられる。で支持体は紙でも布でも木でもいいわけだ。描画材としてはありとあらゆるものが利用できる。糊さえ変えればなんだって絵の具になる。絵でなくていいという事になると、これは作られた物だな。造形物を作ると考えると素材は何でも自由になる。

 そうやって絵というのか、私なりの造形物(小さくて堅牢でゴテゴテしたもの)を手探りで創っていったら、何となく今の形にだんだんとなってきたという事だ。だからこれはグチャグチャ画であって、断じてミクストメディアなどという高級な絵ではない。


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