あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

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サーカスのジンタ - 2016.01.28(作品)


「サーカスのジンタ」F20 2015


はる 5416
 昨日の絵を観るという事のつづき。適当に書くのであしからず。

 例えば同じものを観ていても全く気が付かない人もいるし、そこしか観ていない人もいる。それこそ千差万別でその人の心の中はまるで分らない。それは全く不思議なものだ。前にデッサンの話で、物を見えたとおり描いても表現したという事にはならないのだよという話をした。自分はこう見えました、こう見ました、解釈しましたという報告でなければ表現したということにはならない。それとよく似ているのが、ただ漫然と観るのではなくて何を見たか、ということを意識してみると見方がかなり変わってくる。

 絵を観たとする。普通何気に絵を観ているのだが、本当は何も見えていない、見ていない。意識しては観ていない。ところが百人通りがかったとして十人ぐらいは「おやっ」という顔をして私の絵を見る。「何だこれは?」という顔をする。その色なのか、形なのか、絵肌なのか、とにかくちょっとその人の感覚にコミットするわけだ。

 そこのところが大事だな。そこのところに小さな自分が隠れている。色だとしたら、遠い昔にそんな絵を見たことがあったのかもしれない、小学校の頃そんな絵を描いて先生に褒められたのかもしれない。とにかく自分の感覚に多少なりとも何かが引っかかった訳だ。そうやってそれをきっかけにして自分の心の中に入って行く。絵を見るというのは、作者の提示した世界だけを観たのじゃ片手落ちだな。最も大事なのは、それを仲立ちにして自分の心の中を見るきっかけにすることだ。そうでなければ芸術など意味がない。

 ちょっと手前味噌ですが、 ここに私のHPの言葉を載せます。これは作家側の話ですが、実は鑑賞者側にも同じことがいいえるということでしょう。

「風は姿かたちが見えません。梢が揺れる様子やひゅーひゅー鳴る音を聞いて、人はその存在を知ります。 絵や音楽や言の葉はこの風音に似ています。見えない心のかたちをそのざわめきで見せてくれます。絵を描くとはそのための道具だと思います。
何処まで深く掘ることが出来るか、絵を描く事で探ってみたいと思います」

 美術の時間、図画や工作に明け暮れた。美術とはそんな遊びの延長上にあるものだと思っていた。そう学校の先生もただ上手にものを描くことを奨励していたように思う。けどなぁ、本当は絵を見る鑑賞するのは自分を見る事なんだということが今頃になってわかってきた。なかなかこれは教えることは難しいだろうけれどね。芸術にかぎらないけれど鑑賞教育というのはとても大事だな。

 綴り方ではないけれど、それを文章化する、意識化することでもっと深く自分を見つめることになるようなきがするな。


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