あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2015.09.15(ポケットの窓から)

はる 5181
 「旅の途中」または「長い旅」覚書

 最近の絵は随分と描写から離れてしまった。ものを描写するという事が絵を描くという事だという呪縛から離れると随分と気楽になる。実に長い間そのことに縛られていた。なぜなんだろうな、リアルに上手に描けるということが、絵を描くことだという風に思い込んでいた。だからそのための練習を随分やってきた。

 アフリカやオーストラリアの原住民の絵や仮面や生活道具や意匠に惹かれるのは、それが物を描写するという考え方がないからだ。少し違うけれど専門的な美術教育をうけていないアールブリットなどの作品にも同じようなところがある。だから感動的ですらある。

 個性的であるというのが近代の絵画、芸術作品の金科玉条で最大限の褒め言葉であったりする。だからどこかで観たとか、盗作であるというのが何よりも嫌われるのだけれど、パソコンを含めてこれだけコピー文化が隆盛を極めている時代で真にオリジナルであるというのは難しいのではないかなどと思ってしまう。どこかで観たことがある、誰かの作品の影響を受けていないなどということはありえないだろう。もともと文化という物はそんなものだ。

 話は戻るけれど、あぁいったある種現代の情報から離れた造形を観ると心底魂を揺さぶられのはなぜだろう。たぶん彼らは個性的であろうなどとは微塵も考えてはいない。他と違う物を作りたいなどとは全く考えていない。彼らが「いい」というのは何だろうか?何を判断の基準にしているのだろうか。

 個性的であろうというコンセプトとは真逆の全く無個性になる、自然と一体なる、自分が消えた時に「いい」となるのではないかな。無個性になる恍惚があるようにおもうな。


comment(4)

 
 
 難しいですね。。

 
うん・・・わかるなー。それでいいんだなー

 
おはうおうございあす。ジレンマですが知れば知るほど無垢なものから離れてゆきます。修行しかないですな。

 
自他の区別が生まれてくるその最も深いところまで降りてゆく、又はその最も深いところで描く、と云う事でしょうか。この場合、対象を描くと云う事には余り重きが置かれないのでしょうね。

secret


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