あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ポケットの窓から - 2015.06.06(ポケットの窓から)
はる 5082
 いよいよ夏らしくなって、借りている裏庭が草ぼうぼうになってきた。

 スクエア展のチラシを作った。文章だけ載せてみます。本当のチラシには作品画像がはいります。

・・・・・・・・・・・・・
第25回スクエア展
       併設 榎並和春個展
          卒業制作から
         2015 6/9~6/14
       山梨県立美術館 県民ギャラリーB

1、セザンヌのように
          
 まだ学校に上がる前の話。近所にキリスト教系の日曜学校を開いている家族が住んでいた。信仰心からというより、おやつがもらえるのと、綺麗な聖母子像のカードがもらえるので結構真面目に通っていた。ぼんやりと絵画と聖なるものへの憧れが芽生えた頃でもあった。
 その後、少年時代は遊ぶ事に一生懸命で絵の事など忘れていた。再び絵に興味を持って描き始めたときに真似したのはセザンヌだった。何故セザンヌなのかと言う話はまたの機会に譲るとして、セザンヌのように一つの空間を何かしらの規則にしたがってまとめ上げるということが面白かった。近代絵画への遅れていた意識が目覚め、キュビズムのブラックやピカソの絵画理論が臨場感を持って自分のものになって行くことが嬉しかった、少年が青年期になって自我に目覚めたように、、。


2、人物を風景のように
           
 キュビズムからの脱却。一つの空間を風景と人物、静物というふうに分けるのではなく、一度全てを解体して組み直すということに没頭する。興味の中心が物から人間になって、キュビズムをさらに展開して人物と風景を同じ空間に溶け込むように配置する事に魅力を感じていた。

3、物語絵のように
            
 何故絵を描くのか?花や風景や人物を一枚の絵に描いたとしても、多くの人にとってただの壁の飾りでしかない。音楽や文学や他の表現のように、ひと事でなくもっと人の心を巻き込みたい。観る人にもっと切実にメッセージが伝えられないだろうか。物語性のある絵巻物とか古い教会の壁画などに興味が移ってくる。
 この頃から絵にあったタイトルを考えるようになった。「表現」ということを考えた場合「ことば」の持つ力は大変大きなものがある。詩のように短い「ことば」でイメージを伝える事が出来れば、もっと切実に強いメッセージを伝えることができるのではないかと考えた。

4、祈りのかたち
 
 私は何処から来て、何処へ行くのか、私は何者か?という問いかけは複雑に絡み合った糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りていって、もうこれ以上行けないというところから眺めると分かることもあるかもしれない。私にとって描くことはそのための道具のように思う。
 出来るだけ正直に素直に「あるがまま」の自分を晒す事で私を見つめてみたい。多分それが私にとって絵を描く事であり、多くの人に共感をもって観てもらえる唯一の方法のように思う。
 
 これからどこまで行けるのか、あてのないその日暮しが続きます。この度思いがけず、昔の作品を並べる機会を得て自分の半生を振り返るきっかけになりました。お忙しい中をお出かけ下さりありがとうございました。


comment(0)

 
secret


カテゴリ
アーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

あそびべのはる

Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリ
ポケットの窓から (3368)
未分類 (203)
日記 (935)
ベッドの上の王国 (13)
裸婦クロッキー (144)
作品 (130)
写真 (44)
今日のアトリエ (79)
「家族ごっこ」挿絵 (10)
未選択 (45)
ブログ (14)
you tube (96)
原発 (73)
イタリアスケッチ (7)
画集「こたえてください」1 (24)
「こたえてください」2 (6)
「山峡」挿絵 (7)
動画 (1)
フリーエリア

designed by まて