あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

ポケットの窓から - 2014.02.24(ポケットの窓から)
 

はる 4616
 今日の町中の様子。人の背丈よりも高く積み上げられた雪の塊は、雪崩か氷河が押し寄せたような感じに見える。百年に一度だというから、考え方によればチャンスに恵まれたのかもしれない。夏は異様に暑かったし、昨年は台風も多かったし、今まで見たこともない竜巻がたくさん発生した。冬にこんなに雨量が多いのも珍しい。そんなことを考え合わせると、やはり地球規模の異変が起きていると考えるのが普通かもしれない。

 今朝FMラジオを聴いていたら、現代音楽家の草分け的な存在の三善晃のピアノソナタをやっていた。現代音楽はよく知られているように心休まるメロディーみたいなものはあまりなく、どうにもよくわからないのだが、そう彼はあの現代のベートーベンのゴーストライターの師匠でもある。まぁそのことは本題ではない。

 面白いと思ったことを少し自分なりの解釈を入れて書く。間違えていても知りません。あしからず。

 現代音楽の作曲家はあの火星人のような武満徹なども天才肌の人が多い。三善さんも若くして世に認められてフランスに留学する。日本で西欧音楽を学んでその才能を見いだされて将来を嘱望されて意気揚々とその本場であるヨーロッパに留学する。ラベルとかドビッシーに始まってシェーンベルクとかムスルグスキーなど現代の音楽につながる巨人がわんさか出てきた風土だ。

 最初は物珍しさも手伝って面白おかしく疑似的な西欧人のように暮すことが愉快だっただろう。ところがそこで長く暮らしているうちにどうにもならない違和感が出てくる。自分のアイデンティティの問題だ。風土といってもいいかもしれない。自分の血の問題だ。どうやってもそこでは異邦人であるということかな。まぁそれはそれで異邦人であることを楽しめればそれなりのエコルド・パリの画家たちのように一種の時代を作るのだろうが、本質的にまじめな彼はそうはならなかった。

 大きくは風土だ。風土が人を作り思想を作り宗教をつくる。そこの風土を抜きにして芸術は語れない。厚い土の壁の乾燥した大陸の中で神を創造して理論的にものを考える哲学や思想をはぐくんできた。現代音楽でも宗教性は一見ないように見えるけれど、その実アンチとしての宗教性は隠れている。バッハのように肯定的に表現するか、否定するかの違いのように思える。東洋人の我々にはそういった否定するそのバックボーン(西欧的な)さえないのだ。

 始めてしまったものはやめるわけにはいかないので、帰国後やったことは西欧風の息の長いフレーズではなく。小さな短歌とか俳句とかそういった短いフレーズの寄せ集めで曲を作ったらしい。曲を聴いてそんなものは私には感じられなかったけれど、言っている意味はよくわかった。まぁそうなんだろうと思う。

 ヨーロッパに限らず外国で少し暮らすと感じることは自分のアイデンティティだろう。私はなぜ西欧の伝統の油彩画をやっているのか、そんなことを強烈に感じたので帰国後に油彩を一切やめてしまった。これもまた一つの選択だと思えば、そうこだわることでもないのかもしれませんがね。当時はそうおもった。

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