あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

今日のアトリエ - 2013.10.10(ポケットの窓から)


はる 4478
一種達人の域に達する極意というのはなんだろうか?凡人の私が考えることだからたぶん見当違いだと言われるかもしれない。でもまぁここだけの話だから、勘弁してもらおう。

私がよく「あちらの世界」などという、言葉では表現できない潜在意識の世界でもある。無意識、無作為、無我の境地ともいう。普通我々は自分の意思で考えて行動しているように思っている、しかしそれはまさに氷山の一角でその下には意識されない膨大な「あちらの世界」が埋もれている。それは私という個人が経験しただけのものではなくて、もっと下の有史いらい人類がDNAのなかに溜め込んできた記憶かもしれない。

表現とは表面的には凄く個人的な出来事を吐露しているように見えるかもしれないが、その段階はまだまだ浅いもので言葉で理解できる範囲のものであるならその程度のものだろう。

表現者という言葉しか思い浮かばないのでそれを使うことにしますが、如何にしてその領域まで降りてゆくのかに腐心します。まず一番簡単な方法は一心不乱に没頭することです。夢中になることで一瞬でも「あちらの世界」を垣間見ることができます。話は少し飛びますが「遊ぶ」という意味はそういった没我、一種神がかった状態をいうそうで、昔はそういった状態意識的に意識的に入って「おおいなるもの」との交歓を仕事にしている人々がいた。

そういった努力をしなくても最初から「あちらの世界」にいる人たちがいる。それは10歳までの子供で、すべての人は潜在的にその事を知っている。知ってはいるが大人になってゆく過程でいつの間にかその入口を見失ってしまって、容易には見つけられなくなってしまう。

もうひとつはアールブリュットの人達の表現だ。この人たちの表現はすべからく魅力的だ。ダイレクトに「おおいなるもの」と繋がっていて分けることができない。常人の我々には及びもつかない不思議な世界を持っている。いや、彼らは元々そちらの住人なんだろう。

しかし、子供にしろアールブリュットの人達のにしろ彼らのことを表現者とは言わない。表現者であるためには「あちらのせかい」と「こちらのせかい」をいったりきたり意識的にできなければならないと私は思う。




comment(0)

 
secret


カテゴリ
アーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

あそびべのはる

Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリ
ポケットの窓から (3369)
未分類 (203)
日記 (935)
ベッドの上の王国 (13)
裸婦クロッキー (144)
作品 (130)
写真 (44)
今日のアトリエ (79)
「家族ごっこ」挿絵 (10)
未選択 (45)
ブログ (14)
you tube (96)
原発 (73)
イタリアスケッチ (7)
画集「こたえてください」1 (24)
「こたえてください」2 (6)
「山峡」挿絵 (7)
動画 (1)
フリーエリア

designed by まて