あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

FC2 ブログランキング
            
ブログ村 美術ブログランキング

祝6000カウントプレゼント裸婦クロッキーを3点選んで送ります。ご希望者はメールホームに、お名前、ご住所をご記入の上お送りください。メールホーム

おおいなるもの - 2013.10.08(ポケットの窓から)

はる 4476
 左からラジオペンチ、ケーキ作りに使うパテ、障子を貼る刷毛を半分にしてガムテープでとめたもの、その障子刷毛、工作用の刷毛、下は洗面器二つ・・。こんなもので絵を描いている。特に障子を貼るときに使うのり刷毛は広い大きな面積をむる場合に非常に役に立つ。使い捨てなのか、すこぶる安価である。どの道筆類はすぐさまだめになる、高級な筆を使ってもいい絵が描けるわけではないだろう。

 私のアトリエには絵をかけて置くイーゼルもない。小さい絵は手に持って描くし、少し大きな絵は何かに立てかけるか、床に置いて描く場合が多い。昔はH型の大きなイーゼルも持っていたが、いつの間にか邪魔になるので片付けてしまった。130号クラスの大きな絵になってくると床に置いた場合絵の上に板を敷いてその上に乗って描く。日本画家がよくやっているすたいるだが、もっといい加減だな。パネルだから一人ぐらい乗っても暴れないかぎりどうって事ない。

 今、来年の団体展のために少し大きな絵を描いている。しかし、どうにも大きな絵は上手く行かない。構えてしまうのか、小品のような自由さがない。理由の一つには絶対的な空間の狭さ、具体的に言うならばアトリエが狭いということだけれど、だからといってどこかに別のアトリエを借りてという気にもなれない。出来るだけ日常生活から離れることなく絵に接していたい。そんな中から出て来た物に意味があると思うからだ。狭いならせまいなりの工夫をして何とかするのがやり方だろう。

 もう一つの大きな理由は、絵の作り方そのものにある。ふつう大体どんな絵を描くのか下絵を作って構想を練るわけだ。そこから下地を作ってと積み上げてゆくのが正攻法だろう。しかし、私の描き方は何を描くか何も決まっていない。下地を作っては壊して、そんなことの繰り返しで出て来た物から発想するというでたらめだから、どうしても構えてしまうと自由度がなくなってつまらなくなってしまう。小品にある自由さが大きな作品にはないのはそのためだ。

 大きな作品は、小さな作品と違ってアイディアや発想の面白さを求めるのは違うだろう。

 今回は昨年の「大地の女神」をもう少し発展させて、大きな女神像を描こうと決めていた。どうなるか分らないけれど、大きな顔をどんと一つ描くと決めていた。多分それは一昨年の「負の遺産」の小山のようなバベルの塔を描いた時に感じていたものだ。

 日本人の我々にはどこか共通の認識があって、例えば大きな樹とか岩だとか山だとかそんなものを畏怖するというのか、ただならぬものを感じて信仰の対象にしてしまうようなところがある。まぁそれは日本人だけではないのかもしれないが、人智が及ばないものに対してある種の尊敬というのかな、信仰に近いものを感じてしまう。「おおいなるもの」とでも言うのかな。

 結局私はそんなものを描きたいのかなぁと思っている。


comment(0)

 
secret


カテゴリ
アーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

あそびべのはる

Author:あそびべのはる
画家・榎並和春です。HPはあそびべのHARU・ここだけの美術館

リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリ
ポケットの窓から (3332)
未分類 (203)
日記 (935)
ベッドの上の王国 (13)
裸婦クロッキー (142)
作品 (116)
写真 (42)
今日のアトリエ (77)
「家族ごっこ」挿絵 (10)
未選択 (45)
ブログ (13)
you tube (95)
原発 (73)
イタリアスケッチ (7)
画集「こたえてください」1 (24)
「こたえてください」2 (6)
「山峡」挿絵 (7)
動画 (1)
フリーエリア

designed by まて