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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

「私を見て」は見飽きた。 - 2013.02.28(ポケットの窓から)

はる 4255
 昨日書いた記事に対応するようなことが書かれていたのでびっくりだ。面白いので勝手に引用する。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130227/p1#c
より

「・・ブログという手軽なツールが出現してから、それまで見えなかった「書く人」が大量に出現した。誰もが「どうしても書きたいことがある」「表現したいことがある」と思っていたのでしょうか。そういう人はネットに参入する前から自分で日記や雑文を書いたり、ミニコミ的な内輪のメディアを作って書いていたりしている。大半はそうではなく、目の前にツールがあってみんなが書いているから書くようになったのです(その証拠にブログよりさらに手軽なツイッターが行き渡って、「書く人」が「呟く人」に移行する現象が見られました)。

 目の前にツールがあったから書いた。それは裏返せば、その機会、手段に出会わなかったら、その人々は何も書かなかったかもしれないということです。とすると、その「書く人」たちは、ブログやツイッターというツールに「書かされている人」になるでしょうか。ただ、たとえ「書かされて」いたとしても、それが誰でももっているささやかな被承認欲を手軽に満たせるツールだったことが大きかったのだと思います。キーボードを叩けばネット上に自分のモノローグが活字となって現れ、全世界に公開される。そしてどこかの誰かがそれを読みに来て、この自分の極私的つぶやきに共感してくれたりする。なんと魅惑的なシステムか。そこで「私のことをわかって」と思って書くのは極めて当たり前の振る舞いでしょう。まさにそれは自意識のセーフティ・ネットです。

 アートも同じことになってきているのではないか。しかしアウトサイダー・アーティストが「(普通ではない)私のことをわかって」という表現をし、それが「個性的」なために注目されるということはあるかもしれませんが、自分の居場所を求めてアート方面に来る人はありふれた存在です。ありふれた存在の「私のことをわかって」表現が人を動かすのは難しい。その「私」の欲望が、「私」自身の存在基盤を問い返すところまで探求されているのでない限り・・・・」

**************
 この記事に対してのコメントもなかなか面白い。
これも勝手に引用しときます。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130227/p1#c

「・・・・個人的なイメージ過ぎないですが、
『私をみて』の人と
『自己を掘り下げる』人
は段階を経て発展していく過程ではなくて、最初から最後まで平行線な気がしています。

自己を掘り下げるには自身に対してクリティカルな物の見方をしていく必要があり、それは受け入れがたい苦痛を伴うこともおおいでしょうから。

しかし『私を見て』というタイプの人は『注目される自分が好き』(自己肯定が高いとは限らないでしょうが)どこまでも『見られること』や『評価されること』が目的なので、この二つは永遠に交わらないような気がするんですよね・・・」




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