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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

万物の理論2 - 2012.05.08(未分類)
はる 3969
 蔵出し1
はる 2470
 「永遠の故郷6」
 今日も又吉田の爺さんの話が新聞に載っていた。1930年ごろの学生の頃の話。バッハの「パッサカリアとフガ」のレコードを恩師の蓄音機で聴く。何と一緒にいたのが中原中也だというのだから凄いな。感想を聞かれて「神様がいて何かを指しているようだ」といったとか。ふ~ん・・何か出来すぎだけど、あの94歳の爺さんだから許されるんだな。

 「音楽展望」というタイトルでありながら、もうほとんど小学生が書いたぐらいの簡単な文章になっていて、うつらうつら、あっちにいったりこっちにきたり、語り口は優しくて快い音楽を聴いているようなんだけれど、内容は芸術の本質をずばりと言い当てている。あそこまでになればもう何を言ってもカッコいい、そうなりたいものだ。

 ということで話を戻そうか。どこまでいったのかな、「おおいなる意志」の話からだった。

 絵画というのは一見自由な空間に見えるけれど、これも自分の意識内にあってある種の宇宙の理の範囲の出来事なんだな。神がこの世界を作ったように今度は私が彼に代わって世界を作るというわけだ。

 まぁこれに似た話も幾度となくここに書いたから新しくもないけれどね。でその理というのはいったい何じゃということだな。口で言うのは簡単だけれど、じゃどんなもんじゃ説明してみろといわれると、はたと困ってしまう。それが上手く説明できれば私はノーベル賞でももらえるのじゃないだろうかね。

 もう永い付き合いのお店がある。このお店は最初は四畳半ぐらいの大きさだった。色んなものが所狭しと積み上げられていて、無い物はないというのが自慢であったけれど、いつもどこにあるのか探すところから始めなければならない。長年の夢は店を大きくしてきれいに商品が並べられることだったんだな。

 で、何年か後、念願かなってお店が何倍も大きくなった。倉庫も出来てきれいに商品が並んでいる。けれどそれもさいしょの数ヶ月の話で、やがては最初の四畳半のお店が四つ分広がったかたちになって落ち着いた。まぁ私は気に入っているのでそれでいいのだけれど、話はその事が主ではない。

 自分の将来の姿というのは今の自分の中にある、ということなんだな。見えないかもしれないけれど、未だ眠っているのかもしれないけれど、その多くの場合は今の自分の延長上に将来の私がいる。

 昨日の話とつながるのだけれど、一日というのは自分の一生に似ている。で自分の一生は人類の寿命に似ているし、地球の誕生から終わりまでだし、この宇宙の始まりから終わりまでと似ている。

 で、この話は例のフラクタルの法則に似ていないか。自己相似性というやつ。この法則、簡単に言えば「部分と全体が同じ理でできている」ということなんだな。

 今の統計学なんかもそれを使うんだけれど、そう例えば商品の抜き取り調査でも、全部を調べないでもある程度ランダムにそこそこの数量を調査すれば全体が推量できるというもの。これは全体は部分と同じ確立で出来ているということの応用だな。選挙の当確予想も似たようなものだ。

 で、話は少しずれてしまったけれど、その理論から推測すれば私は小さな宇宙の模型ということになる。

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 蔵出し2
はる 3631

 毎年秋になる今年の稲の生育状況なるものが発表されて、今年はややいいとか豊作だとかランク付けされる。これは個々の田んぼの生育状況から全体の状態を推測して判断するのだろう。

 似たようなことだけれど、選挙結果などもまだまだ開票状況が半分にも満たないのに早々に当確が出たりする。ほとんど間違う事がないのはいつも不思議だなぁと思っている。

 確立の話は二次世界大戦のころから盛んに研究された始めた新しい学問だ。その頃から開発され始めたコンピュータと連動する事によって情報さえ正しく入力されれば、かなりの正当性のある予測ができるようになった。

 文部科学省が放射能影響予測スピーディなるもので早い段階で知りえた情報を発表しなかったということを今ここで話題にするためにこの話を持ち出したのではない。しかし、このことは今回の原発問題を象徴する出来事だな)

 すこし理屈っぽくなります。我慢して読んでください。

 「いま」の私は「10年前の私の選択」の結果になるわけだ。もっと言えば私が生まれてから今までの連続した選択の結果が「いま」の私を形作っている。ゆえに「いま」の自分というのは過去の自分の集積したもので、いまに過去が凝縮していると考えらる。「いま」の自分から過去の自分を推測する事はそう難しくない。稲の作柄のように今の一瞬を見ることで、今までの自分を知る事が出来る。

 そして同じように、今の延長に未来があって、将来どんな人生になろうが、必ず今を始点にした延長線上に未来の私があるわけで、また同じように「これからの私」というものも推測できる訳だ。

 もう幾度となく話題にしているので、新しくはないのだけれど、この話を一人の人生の話ではなく時間を無限大に引き延ばせば宇宙の生成の話になり、そして永遠の未来の話にもなる。

 一人の人間の「いまここ」の中に永遠が見えるということだ。 



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