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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

技術革新と手仕事 - 2012.04.03(ポケットの窓から)

はる 3934
 今日も大風が吹いた。日本海発の低気圧はあまり聞いたことがない。普通の台風は熱帯性低気圧でわりとなじみ深い、今夜のものは寒冷前線の特殊なものらしい。まぁ大げさに言うほどでもなかったようだ。

 内田樹がブログで面白い事を書いていた。仕事の話。この件に関してはまた書きたい。
http://blog.tatsuru.com/2012/04/02_1306.php

 仕事に関しては随分と考えてきたつもりだ。そういえば大阪の大学の卒論のテーマが「技術革新と人間性疎外」などという、とても工学部の経営学科の卒論とは思えないようなテーマの作文だったな。今から考えるととても人様に語って聞かせられるような代物ではなかったけれど、考えていたことは今とあまり違わないように思うな。

 要するに産業革命以後人がやってきたこと、人が手仕事としてやってきた効率の悪い仕事を、如何にして手っ取り早い効率のいい機械的な仕事に移行するかということだったんだな。そうやって突き詰めて考えると効率がよくなればなるほど仕事としての面白みはなくなってゆくわけで、工業の経営という、いずれにしろ利益を追求する立場から考えると、効率アップを考えてゆけば従業員の「やりがい」を削ってゆくということになるし、「やりがい」を重視すれば効率が落ちてゆく。そういったなかで一番お互いにいいベストな方法を考える(適正な科学的経営)ORというのが、この学科の存在の意義だったんんだけれど、私は資本主義社会で利潤を追求する会社である限り無理だという否定的な考察を書いたように思う。なぜなら企業側から見て労働者は機械の一部のようなものでしかないからだ。しかし、あのような作文が卒論として受け付けられたと言う事自体がありがたい時代だったのだろう。

 ということで、私は働くならば職人的な仕事をしたいと思った。当時はリクルート全盛の頃で、まだ就活などという言葉はなかったけれど、夏休み前になると友達は紺のスーツを着て就職活動に会社周りしていた。私が四年の時にオイルショックがあってかなり不景気にはなったのだけれど、私にはどうでも良かった。大企業に就職するつもりがなかったからだな。生意気にも企業の生産管理の戦略にははまりたくないというのが当時の結論だった。

 まるで自信はなかったのだけれど京都の友禅染めの職人か焼き物の絵付けの仕事ならなんとか今からでも修行すれば出来るかなと、兎に角最初は通い週何回かのバイトで始めた。勿論まだ学生だったのでたまには学校に行かねばならなかったからね。どちらが本業か分らんようないい加減さだ。だから卒業したという実感もなにもない。卒業式にもでなかったし、卒業できたかどうかも知らなかった、電話かけて証書だけ随分後でとりに行ったのを覚えている。

 京焼きの絵付けの職人見習いという形で、東福寺近くの窯元で働かせてもらうことになった。陶器の絵肌に泥絵の具で絵を描いてゆくという触覚的な感覚は今とあまり変らない気がするなぁ。焼き物の絵付けというのは下絵付けというまだ本焼きをしていない素焼きの下地に直接泥絵の具で絵を描いてゆく大雑把な方法と、上絵付けといって本焼きが終わった上に赤絵や金や銀などの華麗な装飾を施す形と二通りある。どちらも好きだったが、一度火の中という神の領域を通ると全てがよく見える。

 いずれにしろ、がさがさした地肌の上に金や赤色を筆で直接絵を描いてゆくというのは今のスタイルに間接的に影響している。


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