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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

日々のこと - 2012.01.15(you tube)

Midori(五嶋みどり) -
Tchaikovsky Violin Concerto 1st mov 1of 2
凄いです、鳥肌が立ちます。

はる 3856
 みどりちゃんはやっぱり凄いですね。音楽の事は全く素人ですが、この人が音楽に立ち向かう姿そのものが、もうミューズと言う感じがします。どこか常人ではない神がかり的で、あちらの世界とこちらの世界を入ったり来たりする巫女のような、能の翁みたいなものかな。この後三楽章に入って終わるのですが、終わった後にこちら側にすっと戻ってくる、その普通の彼女とあちらに行ってしまっている彼女との落差がまたいい。

 役者などもそうですが、役を作っていたんじゃ二流だな。その人本人になりきってしまう。人格が変ってしまうくらいになって初めて一流になるのじゃないかな。昔、大竹しのぶが二重人格者を演じていたドラマがあったけれど、あれは凄かったな。普段へらへらしている役者が本番が始まったらすーと役に入り込んでしまう。その役が取り付いてしまうわけだ。芸と言うのはそんなところがあるな。

 さて、そんな一流の人たちの話は脇においておいて、自分の事を書いてみましょう。

 どうも勘違いしていたところがある。いままで絵画史というのは直線的に進歩していて、例えば印象派の次には後期印象派が来て、抽象にも熱い抽象とつめたい抽象があって、キュピズムはどちらかと言えば冷たい抽象の先端部分で、その後にアメリカの抽象表現主義がきてポップアートになって最近の現代美術のインスタレーションになるとという風に、教えられてきたし、色んな本を読んでもそんな事がまことしやかに書かれていたりして、新しい表現をしなければ時代に取り残されて芸術をやっている意味が無いとかなんとか・・。

 作家にとって、古臭い、新しくない、もうすでに分りきった過去の表現と言われるのが一番怖かったんだな。だから作家はいつも前を向いていて時代のすぐ前を歩まなきゃならない、問題作を同時代を生きている人たちに投げかけて考えてもらう使命があると考えているふしがあった。そうなのか?前衛美術とか現代美術とか呼び方は変るけれど、表現者たちはいつも追い立てられるように新しい表現に飛びついていった。新しくなければ芸術じゃない、意味も無い、そうなのか?

 私自身は例えば問題作を発表して世間にその真(信?)を問う、などという大それたことには全く興味が無いな。これまでの多くの作家もそうなのではないかな。たぶん自分の身のまわりの事を単に唄ってきたそれだけじゃなにかな。それがたまたま時代に合って評価された。それだけのことじゃないか。

 時代を表現しようなどとも考えていない。だいたい絵で世の中が変るわけが無い。

 私は今の自分の日々の生活、毎日感じた事、そうこのブログに書いているようなことを絵にしてゆければそれでいいと思っている。それが芸術でなくてもいいし、革新的でも、新しい表現でなくても全然かまわない。そんなのではだめなんだろうか。


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