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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

裸の王様 - 2011.09.24(ポケットの窓から)







 


はる 3744

 光より早い素粒子が見つかったということだ。まだ実際は検証がすんではいないので、これからどうなるかわからない。単純に考えるとアインシュタインの相対性理論が根底から覆ってしまうわけで、そうなると宇宙は閉じられた世界ではなくなる。どこまでも無限に広がる空間というと、暗黒の世界を空想して薄ら寒くなる。まぁどちらにしても日常にはなんら影響はないのだけれどね。



 隣の空き地に新しい家が建ち始めた。これが昨日まで土台が出来たと思ったら、今朝屈強の男たちが10人ばかりやってきて、大きなクレーン車が工場で作られたプラモデルのような家の断片を次々と持ち上げてあっという間に二階建ての大きな家が出来てしまった。



 面白いように立ち上がってゆく様子を見ると、これは家を建てるという仕事ではなく、単に組み立てると言う仕事だと思った。それぞれは実に楽しそうにホッチキスのお化けのような物を持ってパチパチとめていた。彼らは大工さんではない。まともな大工の修行をした人間は反対に邪魔になるだろう。そんな技術などこの場では使うところがない。まぁ時代の流れであるから、どうしようもない。仕事のやり方が変ったということだ。



 昔チャップリンがモダンタイムスで風刺していたのは、大きな工場の流れ作業だったけれど、今はそんな生易しいものじゃないね。実際一つ一つ最後までものづくりに関わっていけるというのはもう工芸品とか作家物しかないのかもしれないな。工場で作られた量産品か作家生産の一点物という両極端になってしまった。



 効率とか利便性、経済的なことを考えると、日常生活は出来るだけ量産品を使って暮らすというのが生きてはいきやすいのだけれど、この間の話の続きのようになるのだけれど、例えば何かを観るとか聴くとか感じるというのは、ただ単に流されていたのでは出来ないことなんだ。ただ単に口に入るものを食って、そこらの量産品の服を着て、張りぼてのような家に住んでいたのでは、何を食っても同じだし、どう生きても変らないということになる。



 この間の鑑賞の話とつながる。

 「それで終わってしまったのでは何も観ていない、聴いていない、感じていないのと同じなのではないかな。少し前にクロッキーのところで書いたけれど、物を見るとか、感じるとか、聴くというのは「はっきり意識して聴く、観る、感じる」という姿勢が必要なのではないか。我々に抜けている、教えられてこなかったのはそういうはっきりした姿勢ではないのかな」



 それが生きる、生きた、ということだ。



 裸の王様のように気がつかなければそれでもいいのだけれど、何だかすこし寂しい。

 


 




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