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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

裸婦クロッキー11/8/28 - 2011.08.28(裸婦クロッキー)





















































 


 

 今日は月一度のクロッキーの日。有志のメンバーは大分変ったけれど、変らずにずっと続けている人もいる。他人ことはあまり言えないけれど、長く続けたら上手くなるかといえばそうでもなくて、、基本的にはほとんど変らないように見える。こういったものには凄く最初っから上手い人というのがいて、特に訓練する事もなく上手いのだ。これは珍説だけれど、字と似ているな。字の上手い人は訓練すれば絵も上手くなると思う。



 私の字を知っている人はよく分かると思うのだが、はっきり言って滅茶苦茶下手くそだ。下手にも限度があるけれど、私の字は学校に行く前の児童の字にも負ける。しっかりまじめに真剣に書いてもグネグネと曲がってしまうし、何か全体のバランスが微妙に変である。自分で言うのだから間違いない。決して謙遜でも卑下しているわけではない。その事に劣等感もないのだから、卑下しているはずもない。



 これは訓練して上手くなるというものでもないのではないかと思うのだ。小学校の頃私の夏休みの宿題は毎日ゆっくり丁寧に百字書くという課題だった。見本を見ればそれなりに上手くはかける。でもすぐに元に戻ってしまう。



 パソコンで一番いいと思ったのは生字がそのままでない事だな。だからこうやって恥じらいもなく日記などを晒す事ができるのだ。これが生字ならとても人様に見せられたものではない。人格を疑われてしまうだろう。



 で、なぜこんな話をするかと言えば、いってみれば私の指先は持って生まれた癖を持っている。言い方を変えればハンディを元々持っているようなものだ。ところが絵に限った事でないのかもしれないが、人は何かハンディを持っているほうがより遠くへ行ける気がするんだな。もし私が神のような手を持っていたら、絵を描くのに何の苦労もしなかったら、今の手法は考え付かなかっただろうし、多分そこそこで飽きて止めてしまっただろう。これだけ飽き性なんだから・・。全ては裏表なんだな。けっしていいだけではないし、悪いことだけということもない。



 クロッキーに限らないのだけれど、絵というのは見方なんだな。私にはこう見えました、こう解釈しましたという自己報告みたいなものだ。だから見えない人には絶対に描けないのだ。多くの人はそっくりそのまま、見えたままを描くのが絵だと思っているようだけれど、見えたままそっくりに描いても、絵のようには見えるけれどそれは絵ではない。ただ機械的に写しただけなんだ。それは写真でやる事を人間の手がやっているにすぎない。だから積極的にこう見えました。こう解釈しましたという報告書を載せないと絵にはならない。



 クロッキーが面白い、曲がりなりにもここまで続いてきたのは、決して上手くはならないからだろう。無論最初に比べると格段に上手くはなっているけれど、そういう問題ではない。どんなにがんばっても私はラファエロやダビンチにはなれない。もって生まれた天性が違う。彼らは元々並々ならないほど上手だったんだ。その上に努力している。そういうのを天才というのだ。



 だらだら取りとめもないことを書いてしまった。消すのも勿体ないのでアップします。あしかえあず。




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