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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

閉じられた宇宙 - 2011.06.23(ポケットの窓から)






 

はる 3651

 いつの間にやら今日は午前様になっていました。今日も忙しい一日だった。



 午前中は美術館に出かけてグループ展の会場当番、その後デパートに震災のチャリティー展の様子を見に行く。千葉の山口画廊では個展が始まった。場所は違うけれど今三箇所で展覧会が同時進行で開催中。売れっ子作家のようだ。



  上の作品は昨年の国展に出品した作品。今年の作品は地方巡回で間に合いません。来年出す事になるでしょうか。私の描き方だとアトリエが狭いということもあってF130号が限界です。で、ぎりぎりいっぱいの絵を描いたとしても、こうやって大きな会場で見るとどうしてもせせこましい詰まった感じがする。



 アトリエだけの問題ではないようにも思うけれど、やっぱりその器というのは知らず知らずに影響を受けるものだと思うな。兄貴から養殖魚の話を聞いた時になるほどなぁと感じたのは、どんなに大きくなる魚でも人工的なイケスで養殖した場合、外洋で取れる魚のようには成長しないそうだ。その器に合った大きさにしかならない。ということから考えると、例えばアメリカの現代作家のようにでかい工場跡みたいなところで仕事している作家には、スケールと言う事で比べると勝てるはずもないな。



 絵はスケールというのか大きさで勝負するものではないから、一概に彼らの方がいいとはいえないのだけれどね。一つの要素で考えるとお話にならない。



 絵の描き方にもよるのだろうけれど、例えば(佐々木豊説)で言えば、編み物派というのかな、どんどんつなげて行く描き方だといくらでも大きくすることが出来る。植物とか原始的な静物が増殖してゆく様子に似ているかもしれない。あえて全体を考えない。出来上がったのは作業が終わったところ、という描き方だ。建築でもガウディなどはこれに近いかな。どちらかと言えば女性の作家に多いように思う。



 反対に我々というのか男性の作家は構築派というのか、全体を一つとして見るというのか、そういった傾向が強いように思うな。閉じられた一つの宇宙を絵の中につくり出すということかな。だからある程度全体を把握していないと不安なんだな。だから手に余るような大きな作品は描けない気がする。どうだろうか。



 眠くなった。



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