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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

振りかえる - 2011.05.28(ポケットの窓から)






 

はる 3625

 来年還暦を迎える。別にだからといって何かが変るわけではない。けれど、まぁちょうどの区切りという事で、残された時間というのを意識するなぁ。それで後10年でどこまで行けるだろうか?とか後20年でどこまでという風な事をよく考える。



 私たちには子供がいないので、子供の成長で時間を知るというすべがない。だから余計に時間の意識があいまいだな。今日は昨日の延長でしか推測できないのだな。大人になりきれないのもそういったことが関係しているかもしれないな。



 10年単位で少し振り返って、次の10年を考える足がかりにするか。



 10歳の頃(1962年)というのはあまり憶えていないなぁ。1961年のSEIKOのコマーシャルが1961をひっくり返しても1961だなどというのをやっていた。1964年が東京オリンピックの年。家族そろってテレビにかじりついていた。日本全体がまだまだ貧乏で娯楽といえばそんなものしかなかった。それでも何か時代が具体的に動いていて、今日より明日、明日より明後日と右上がりによくなっているという活気にあふれていた気がするな。



 20歳の頃(1972)大阪の万博が1970年。時代は行け行けどんどん。今の中国などと良く似ている。消費が美徳、お金を儲けてどんどん新しいものを買う、そういった欲望を満たす事、そんなエネルギーに満ちていた。よく言えば活気に満ちていた。悪く言えば品がない。



 この頃に絵を始める。何をすればいいのか、自分には何が出来るのか、皆目見当もつかなくて、あっちにふらふら、こっちにふらふら、大阪の街をズタブクロ下げて徘徊していた。兎に角自分で働いて自由になるお金ができることが嬉しかった。朝から晩までバイトばかりしていたな。JAZZ喫茶の親父になりたいと真剣に考えていた。



 30歳の頃(1982)この十年で大きく人生が変る。25歳で受験して関西を離れて山梨に移住。四年間の執行猶予をもらう。切羽詰ったものからゆっくり考える時間をもらったのは良かったように思う。おぼろげながら絵を描いて生きてゆこうと決心する。



 40歳の頃(1992)1988年銀座で初めて個展を開催する。右も左もどうなるかも予想がつかなかったけれど、兎に角画家としてやってゆくには個展しかないと思っていた。時代はバブル全盛の頃で、まぁそこそこ収支がつながった。それからほぼ毎年個展を続けている、これは自慢できるだろう。



 この頃色んなコンクールに出品。企業の奨学金や公募展に出品して遊学の資金を集める。1995年には全ての活動を中止して一年間イタリアにあそぶ。これはまたまた偶然だけれど、望めば適うものだと思った。今の私のベースを作っている気がする。



 50歳の頃(2002)2000年、晴天の霹靂で大病をする。入院、手術、治療と五年ほどは再発が心配だったが今は健康を取り戻す。年間、数箇所で個展を開催して旅芸人のように生きて行けたら、それでいいと思っている。それ以上は何が望みなのか? 

 



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comment(2)

 
No title 
亜じゃ さん、コメントありがとうございます。何年も続けていますが、訪ねてくれる数はそう変りませんね。日々の暮らしを確認しているだけのような気がします。それでいいとも思っていますが・・。

No title 
過ぎてしまえばはやいけどふりかえって考えてみれば
いろいろあったという事ですね
私はたぶん榎並さんより一学年下 時代の感じは
わかります
個展を毎年つづけ ブログを毎日書いておられること
これは驚異といっていいことです

secret


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