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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

再びセザンヌについて - 2011.02.09(ポケットの窓から)






 

 井上直久さんのブログを読んでいたら、昨日書いた「秘密」と少し関係したようなことが書かれていた。下に勝手引用しておいたので、リンク元を訪ねてみてください。あぁやっぱり同じようなことを感じている人もいるんだなと思った。



 特にアメリカ発の現代美術などはこれでもかと言うほど「自己主張」の集まりです。自己主張なくしてアートはありえない「私が、、僕が、、」のてんこ盛りですね。美大やその他の美術の専門の学校などでも多分多くは「如何にすれば人と争って勝つか」そんなことのノウハウを教えるのではないだろうか。教える先生たちがたぶんそういった世界で戦って勝ってきた人たちだから、それが唯一正しい美術のあり方だと考えているのではないだろうか。



 異端だった若冲などがアメリカ経由で再び注目されるのもそんなところに根があるように思う。変っている、見たことがない、異端である、そういったことばかりが芸術の価値としてもてはやされると、敏感な若い人は争ってそんなことに血眼になりそうな気がする。



 他と違うことを唯一の取りえとしているものというのは、考えてみると非常に不安定なところに立っている。なぜならそれはすぐさま真似されて他と同じになってしまう。だからやたら「コピー禁止」や著作権を主張してその権利を守るために躍起になるのでしょう。



 今の世の中はお金が中心の世界だから、すべて利権がらみで物真似はいけないことという前提で成り立っている、しかし、どうなんだろう、よくよく考えると見知らぬ個人の利益を守るために、何故我々が我慢しなきゃならないのだろう。何かおかしくない?いいものはどんどん真似していいのじゃないかな。



 ゴッホやダリや若冲などのように決定的に他とは違っていれば、それはそれで普遍的なものに近づくことはできるように思う。それはある種神から送られた才能だから、うらやまれることもない。ただ周りにいたひとに多大な迷惑をかけたでしょうな。



 私は学生の頃に考えた。例えばここで林檎を描くとする。リアルに上手そうに描けたとする。しかし、それで一体なんなんだ?という疑問だな。例えばそれをもっと私だけの解釈で世界でどこにもない林檎を描いたとする、でもそれで世界が注目するのか?やってもやっても無駄なように思えた。



 少し見えたと思った取っ掛かりはセザンヌだった。今から考えると彼の絵は自己主張しているようでしていない。「私が、、僕は、、」という声が聞こえないのだ。淡々と内に向って、ただひたすらに根源へと向って降りている。



 人を驚かそうとか、人とは違うことをしようとか、自分のオリジナリティがどうのこうの、、など全く考えてはいない。自分のために、それが人のためになってやがて人類のになり世界ののになり宇宙まで広がっている。林檎を描いていてむなしくなった私を救ってくれた。今やっていることが無駄なことではない言われたような気がした。



 ということでまた眠くなった。また



comment(2)

 
No title 
私を含めて、人迷惑な人がたくさんいましたね。「心にトゲを刺す」それはそれで、個人的には存在意義があるのかもしれません。

No title 
現代美術を見ても心安まらないのは、そういう意味もあるんですね。でも、心に棘を刺すのが作品の狙いなのかも知れない。行く道が違うということですかね。

secret


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