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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

秘密 - 2011.02.08(ポケットの窓から)






 

はる 3516

 昨日「就職しないで生きる」といったことを書いた。もし定職を持っていたら違った生き方になったでしょう。まぁ人は二つの人生を歩むことが出来ないので、どうなのかはっきりとは分からないのだけれどね。人生のある時期にどちらを選ぶのか選択を迫られる。無論どちらが正解というのではない、どちらでもいいのだけれど結果的には大きく変ってしまう。



 絵を描くことと生活が直接つながるとは考えられなかった。「絵描きになりたい」とは思っていたけれど、それが何を意味するのか、正直いって何も考えてはいなかった。場当たり的に学校の先生の職を辞してしまって、もう取り返しがつかないところまで追い込まれていた。何をやっても長続きしない、だめ男だと自分でもそう思って情けなかったな。普通なら実家の関西に帰るのが筋なのだが、今更おめおめと帰省するわけにも行かなかった。行くところがないので、学生時代すごしたここにすごすごと帰ってきたのだ。結果的には絵描きという生き方を選んだように見えるけれど、ある意味こうするしか仕方なかったというのが本当のところだ。



 私は絵を描いて生きてはいるけれど、どうもプロの作家になりきれないところがある。というのは注文に応じてだれそれの肖像を描くわけでも、こうして欲しいという期待に応じるわけでもない。職人のようにある一定のグレードの製品が出来るわけでもない。実にあやふやな、自己満足の基準で作品を作っている。まぁ私自身の判断ではいいと思ってはいるのだけれど、世間一般ではどうなのかわからない。何十年もやってきてこれだから本当に困る。それで平然と個展をやって人様に見せているのだから恥知らずと思われても仕方ない。でもまぁそれでも生きてゆけるのだから、反対に続けてもいいということだろうと解釈している。積極的にこれが私の選んだ道だとは言えない。



 秘密と言うほどのことではないのだけれど、気付いていることを書いてみる。多くの人は「私を見て」というために絵を描いている。だからどんな絵にも「私が、、ぼくが、、」という自己主張の声しか聞こえない。一点や二点なら聞いてもくれるだろう、でも大体が飽食で気持ち悪くなる。私は反対に見る人を「引き込もう」と考えている。出すのと入れるのでは180度違う。何か共通の想いを持つこと。誰にでもどこにでもあるものを探すこと。いつもの話に戻ってきてしまった。



 もう少し書きたいけれど、眠くなった。また。



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