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あそびべのHARU・ここだけの日々
画家・榎並和春

表現の核 - 2010.10.24(ポケットの窓から)






 

 昨日は先日の「町の芸術祭」で知り合った若い友達と餃子と肉まんなど皮の部分から作って、みんなでワイワイと遊んだ。若い連中と遊ぶのはどうして楽しいのだろう。まぁ私がというよりカミさんがすきなんだろうな、私はただフンフンと見ているだけだから・・。



 「若いお前たちには分からんだろう」と偉そうに薀蓄をたれるわけではない。知ったかぶりして若い連中相手に君臨するつもりもない。経験がなくて未熟なのは当たり前だ。そんなところで差をつけて上から目線で話をしたいとは思っていない。ただ単に一緒に飯を食ったり飲んだりして楽しみたい、それだけだ。役に立つことなど何もしたくない。



 「閑話休題」



 修行する行者は荒行などで体を痛めつけて人間業とは思えないような苦行をする。チベット仏教などでみるのが五体投地といって体をなげうって聖地まで到達するのを修行の一つとしている宗派もある。一生右手を上げたまま生活するとか、生身の体を出来るだけ痛めつけているようにしか思えない修行もある。いかにして人の欲をたつかということであり、本質的には生物としての生と矛盾する。



 修行するものは山に住むだから仙人というのだけれど、それは分かりやすいトレードマークのようなもので、まだまだ本物じゃない気がする。本当の修行はもっと町中で「寒山拾得」ではないけれど、箒でも持ち掃除しなら、普通に日常生活しながら、そんな中でするものじゃないかな。最終的には穏やかに、良寛さんのようにただただ子供と遊ぶそれだけでいいというふうなのが本物じゃないかな。



 何が芸術かよく分からないのだけれど、純粋に芸術と言われているものだけ取り出して例えば芸術館みたいなところに展示したり、発表したりして、それをまたありがたがって鑑賞する、そんな芸術ももちろんあってもいいのだけれど、私の目指すところではない。



 内緒のはなしをすると、人は何気ない日々の生活の中で、ちょこっと慰められたり、心のささえになたり、癒されたり、ありがたかったり、こころよかったり、こころのよりどころになるような物、事、出来事、それがひょっとしたら「いのり」というものかもしれないけれど、それが表現の核でないかと思っている。そんなものを捕まえたい。



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